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おもに劇団⭐︎新感線まわりの怪文章を投げています

「狐晴明九尾狩」お疲れ様でした総括感想〜「いない」人間を信じるという幸福〜

「狐晴明九尾狩」まずは1公演も欠けることのない完走、ほんとうにお疲れ様でした。偽義経の中断から二年。想像もつかないような苦しみが、劇団に関わる多くの人にあったかと思います。そんななか、最後までこのお芝居を届け得てくださった全ての方に感謝が尽きません。本当にありがとうございました!

 

そして、いやー……自分でもびっくりするほどハマってしまったというか……「まさか」感がある個人的な大ヒット演目でした。

 

発表時はまず「この過去最強月9感キャストのなかで早乙女友貴は何するんだよ」だったので、なんとなく演目的に今回はそこまで私向きじゃないかな? という印象も受けたんですが……なぜか直前に「狐耳つけた吉岡里帆早乙女友貴がシンメになっている」という人生で見ることがないであろうと思っていた光景を事前に目の当たりにしたせいで、気づけば初日に来場。そして1幕が終わった頃には、心のなかの劇団オタクがウッキウキで踊り始めていたのだった。

 

すごい!!!こんなキャスト呼んできて令和とは思えない陰陽師バトル!!狐耳!!狐尻尾!! 1幕終わりパイフーシェン「では後ほど」を見せられた段階で、オタクは自分のグルメ細胞に適合する食材を口にしたトリコの状態を完全に「理解」した。

 

と、同時に「劇団⭐︎新感線の主人公オタク」として、すでに脳味噌ぐわんぐわん。

 

え……あの安倍晴明とかいう男……「ヤバ」くない……??????

 

遅まきながら自己紹介させていただくと、

私はいのうえ歌舞伎にあらわれがちな「自分を取り巻く世界や他人のためには頑張れるけど、その世界から自分をナチュラルに勘定から外したうえに、自分は強いんでだいじょうぶで〜すという顔をした主人公」に打率100%の弱さを誇っておりまして、中村倫也にその主人公属性がのっかると何が起きるか?

 

そう、ビッグバンですね。

 

とにかく安倍晴明という主人公が性癖に大ヒットしてしまい、1幕で息絶え絶え。そのため、2幕見たあとには「晴明がなにしたんだよ!」と泣きながら会場出る羽目になったんですけど(二年前のACTではりざちゃんがなにしたんだよ!!って叫びながら会場出てきた)。いつもいつもいつもいつも主人公は…主人公は…主人公って最高〜〜!!!!!

 

というわけで主人公オタクとしては手ひどいダメージを受けたものの、実際の帰り道はド・浮かれ倒していたのが実態で、

 

私は自分はメイン!自分こそがこの物語の中心軸です!とウキウキで暴れてるけど全然そんなことない男、通称:「場外乱闘の男」が大好きなんですが……パイフーシェンがまさか10年に1人の逸材級「場外乱闘の男」とは思わず。思うわけなくないですか? 向井理の顔した男が場外乱闘になるなんてそんなこと普通起きないんだよな!?

 

つまり、あまりに自分の好きな僻地の性癖を抑えられてしまったのが大好きの要因なのですが、さすがにこれだけなのはあんまりなので、もうちょっと細かく好きな点を書いていきます。

 

①物語の構造

わたしはひでかず歌舞伎に「一撃必殺」を求めているので、苛烈な一撃が決まってくれるとそれだけでその演目のことが大好きになっちゃう。狐晴明においては「安倍晴明 VS パイフーシェン」の対立構造だと思っていたものが、実は晴明はずーっと利風と戦っていて、パイフーシェンは眼中なしでした! という種明かしに「一撃必殺」を喰らいました。

 

またそれ自体が私の主人公オタクとしての性癖にもかなり響いてしまい、もう降伏ですどうにでもしてくださ〜〜い!!と両手を挙げてたら、私じゃなくて安部晴明がひどいことされちゃって真剣号泣かました。

 

終演後の感情 → わたし「いや……そうはならんやろがい…」 新感線くん「なっとるやろがい!」

 

②作中キャラクターの織り成すコミュニティの広がり

これは特に大阪公演で強く感じた部分。

 

妖と人間、貴族と平民、はぐれもの……と様々なコミュニティが晴明を結節点としてつながり、一丸となっていくのがあったかくて好きでした。このあたりは髑髏城と近いんですが、髑髏城はやっぱりそれぞれのコミュニティの代表が生き残って、その裏にはかなりの犠牲があって……という構図であって、狐晴明の「みんなで!」感はかなり中島脚本では珍しいなあと思ったんですよね。

 

私は狐晴明でも1,2を争うほど好きなシーンが銅山に妖も人間も貴族も平民も集まって、対等な者同士で接しているシーンで……「今のあなたならわかるでしょう、渦雅さん」ここで絶対うるっときちゃうんですよね。

 

都が舞台でありながら宮中内に留まらない、それ以上の世界の広がりと繋がりの暖かさが見えるのが、特に好きなポイントでした。

 

安倍晴明とパイフーシェン、対立する二人のキャラクターの魅力

これが一番大きい。1:1の対決モノとなると、どうしても二人のキャラクターが魅力的であることが求められると思うんですが、個人的には狐晴明はそこが完璧。安倍晴明もパイフーシェンも三時間こっきりで終わらせるにはもったいない、魅力あふれるキャラクターでした。

 

飄々としていて表情豊かで変わりものでいい性格してて、主人公らしからぬな安倍晴明。一方、ランフーリンを味方に入れてからは表情が豊かになり、いきなりコロコロコミックのキャラクターみたいになってオモシロカワイイパイフーシェン。でも同情の余地は一切ないので、パイフーシェンの敗北自体には納得できる。ちょうどいいバランスなんですよ。

 

この二人のキャラクター・バランスは今回のキャストありきで生まれた、あて書きならではのものだな〜と思いつつ、一方で、だからこそ「別キャストで見てみたい」という気持ちが湧く面もあります。すごく変な言い方になるんですが「中村倫也安倍晴明向井理のパイフーシェンが最高」でありながら、ちがった人間がやれば想像もしてなかったものが出てきて、それはそれで強烈な光を放つんじゃないかな、と。ここまでのキャラクターに強度があると、だからこそという欲が出ちゃいますね。いのうえ歌舞伎見てこんな感覚になったの初めてで自分でもびっくりしてる。もちろん、そこまでキャラクターを昇華した二名のキャストが凄まじいのは当然として、ですよ。

 

いやだってさ、生田斗真晴明VS山本耕史パイフーシェンとか観てみたくない??

たぶん剣と呪術とか捨てるし、なぜかパイフーシェンの服は半分ぐらいビリビリに破けてて二の腕丸出しだし、最後は「うおおおおおお」って叫びながら拳をぶつけあって、その衝撃で都中が光に包まれたりする。作画がTRIGGER。

 

「僕の考えた狐晴明九尾狩・花」キャストがあったら、ぜひわたしにも教えてください!!

みんなで作ろう狐晴明九尾狩〜花鳥風月極〜

 

ここからはキャラごとの感想と、考察という名の妄想書き連ねです。

 

安倍晴明

は〜い大好き大好き大好き!!!!

前述の通り、私が狐晴明を好きになってしまったのは、ひとえにこの安倍晴明がめっちゃくちゃに好みだったから。

 

キャラデザがそもそも好きなんですけど(新感線はアニメ)、回想シーンでいきなり駄々こねクソガキムーブが始まった瞬間、脳がじゅうっとバターになって溶けちゃった。頭が良くて性格が悪いクソガキ、なのに立ち位置は主人公、完璧でーす!!

 

「いい性格をしている」を一段階超えて、普通に「性格悪い」の域に入ってるのに、正義であり善でありそのポジショニングには違和感がない。笑って怒って悲しんでるのに、仲間含めて周りを騙しまくって……こんだけキャラがくるくる動けば掴みづらく愛着を持てないキャラクターになりそうなものが、全ての在り方が魅力的で見れば見るほど大好きになれる。中村倫也、改めてとんでもない。恐ろしい。 実はVBB未見勢のため、新感線での中村さんは初めて拝見したんですが、私はこういう0番を新感線に求めていたんだな……と気付かされました。

 

これだけ物語を牽引しながらも、一人のキャラクターとしてめちゃくちゃ魅力的。殺陣もサマになってるし小技もおもしろいしで、ついついオペラで追ってしまう。晴明に吸引されてあっという間の二ヶ月でした。愛しんでしまえば愛しんでしまうほど結末がきついのがまたしんどくって、また忘れられない男が増えちゃったな……。

 

中村倫也さんには是非また新感線0番として私をめちゃくちゃにしてほしい。次はチケット取る前から「中村倫也でめちゃくちゃになる」という覚悟を決めとくからよ!

 

以下、キャラに対する所感や個人的な考察。妄想多めな個人解釈なのでテキトーに読んでください。

 

①晴明が狐晴明を名乗っていたのはいつから? 真意は?

これはかなり妄想ですが、回想の利風とのシーンの1年前ぐらいじゃないかなぁ……と予想しています。理由は恐らく本編で述べた以外に「利風を立てて自分を落とす」ため、もある。晴明自体の能力が高いこと自体は知れ渡っているわけですから、利風が「一歩引いた」と言うのが能力の優劣の偽装には見えない。となれば、「自身が狐との混血である」という噂を流して、であればふさわしくないと思わせたのではないのかなぁと。

 

一方で、晴明としては噂だとしても「狐晴明」を名乗れば妖と人の中立的立場に見え、妖側の立場に立ちやすく、人間と妖のパワーバランスを均等に持ちやすい。ついでに本人が言う通り「重用されなければ都の面倒ごとに巻き込まれないで済む」のも、確かに大きな利点。とはいえそれも、利風がいるからこそのポジショニングの取り方。利風がずっと日の本にいて、自分の上に立ってくれるだろうと考えていた故の立ち回りなんでしょう。

 

晴明としては「自分を信用しすぎないほうがいい」と劇中口にしますが、そういう「信用ならない人物」を演じるのも晴明の望みだったんでしょう。そういう人と思われたかったのもあるし、周りの人間に「自分で決められる人間」になってほしい、という気持ちもあった。そういうところも含めて「狐」を名乗っていたのかな。安倍晴明自体が死後にさまざまな伝説が流布し、その存在がひとりあるきしていった人物なので、彼は「自分の望んだ自分」という像を無意識で演じようとしている人に見えました。唯一、素の自分を見せられたのが利風だったんだろうが、そのことにも自分自身では最後まで気づいていなかったかもなぁ。

 

「及ばずながらな」と言ったことを「お前らしくない」と咎められて嬉しそうにするのはそのあらわれで、自分自身よりも自分を認めてくれる利風のまっすぐさがシンプルに嬉しかったんだと思います。

 

②利風を偽と見抜いたタイミングはいつなのか?

これは私も結局最後まで100%の確信は持てなかったのですが、戯曲と合わせて考える限り、「利風が現れた瞬間(その前)から疑っていて、それが再会の対話で確信に変わった」でほぼほぼ正解だと思っています。

 

戯曲(削られた一景が丸々収録されているので、ぜひ買ってね!!!!)上では、晴明は「九尾の形に別れる流れ星」を見た翌日に利風の帰還に立ち会っている。晴明としては「九尾の流れ星」という凶兆から九尾の妖狐が日の本へ渡ってきている=妖狐であれば何かに化けて目の前に現れる可能性がある、ということまで読みきれないわけがないし、なんなら「大陸から戻ってくるものの筆頭=賀茂利風」である以上、その利風が現れた時点で利風=九尾の狐であることは確信に近かったのではないでしょうか? なので、利風が目の前に現れたとしてもいったんは普段通りに接して彼を見定めよう、という覚悟が再会時にあった。

 

ただ、もちろん本人としてはそんなこと信じたくない、という迷いもあり……「あれは九尾の妖狐だな」と断言する利風を見てほぼほぼ確信。なので「……さすがだ」は気づいたというより確信を得てショックを受けた状態。そのあとラストのダメ押しとして「及ばずながらな」。ちなみにここでパイがしくじったのは「自分は九尾の狐に喰われた」と晴明に伝えるために当該の記憶を食わせなかった、利風の策だと思います。

 

利風が狐に喰われていると理解したあと、近頼から「待てというに」と引き止められるほど早足になっているのは、とにかくその場にいたくなかったんだと思いましたね。そのぐらい心が乱れていた。とはいえ事前の心算ができていたからこそ、その場ではさして取り乱すことなく、涙も自身の屋敷に帰るまで止められたとも受け取れますね。かなしい……。

 

③賢さと相反する自己認識の甘さ。なぜ「泣いたのか、僕は」なのか?

安倍晴明のしんどいポイントとしては、「身の回りのものは大体おもしろがれるのに、その世界から自分自身が抜け落ちている」ところなんですが、そのアンバランスさには「賢い / 能力が高過ぎるゆえ、情緒の発達が頭に追いついてない」って印象を受けたかな。年齢は渦雅>晴明に感じるので、そうすると20代前半ぐらい? 

 

「泣いたのか僕が」が序盤・ラストと二回繰り返されるのが印象的だったのですが、「自分が泣くほど感情が乱れている」ことにも気づかないなら、怒りも喜びも自分では認識できんだろうよ……。故にラスト「自分の心が食われても、周りの喜怒哀楽を眺められたらそれで大丈夫」なんて言ってしまうわけなんですが、このラスト、東京のときはひたすらしんどく感じていたものの大阪では不思議と辛さが軽減されたんですよね。

 

一回目の「泣いたのか僕が」は式神に指摘されるまで気づかないが、二回目の「泣いたのか僕が」は自分で自分が泣いたことに気付くんですよね。また、流れ星を見てその意味を読む、というのもオープニングとエンディング、繰り返されている場面なんですが、エンディングの流星は利風からの「印」であったと思っています。晴明と利風には恐らく、幼い頃から培ってきたお互いだけにわかる符牒が色々とあって、ラストの星から読み取れるものも、利風からの何かしらのエールだったのではないでしょうか? それを見て涙する=本人が気づいていないだけで、感情自体はどこかに残っているのでは。

 

また、周囲の人々の頼もしさも大阪公演では段違いになり、これだけあったかい人たちに囲まれていれば晴明は大丈夫だ。みんなが晴明の心ごと守ってくれる。と確信できたのが大きかったです。

 

④パイフーシェンとの対比構造。なぜ晴明はパイを「利風」と呼び続けたか?

ここは考察というか、私が狐晴明で強烈に好きな部分なのですが……

「自分の周囲の平穏のために戦っている」安倍晴明が、最初で最後の「自分のための戦いをする」というのが、狐晴明九尾狩という物語だと私は捉えています。

 

回想シーンから見る限り、晴明自体は「前に出たい・出世したい・活躍したい」という意思はなく、どちらかというと利風を立て、自分はサポートに回りたいと思っている人間です。それは利風との友情関係故にというより、本人の気質的に大きく目立って活躍するのは似合わない、と自分を俯瞰しているんでしょう。本人のビジョンや性格も相まって、政治的な立ち回り、円滑な人間関係の構築自体は利風のほうがうまかったのではないでしょうか? なので、晴明としては利風に道を譲ったというのは友に配慮したのではなく、それこそが晴明の思う理想の都に近づく最良手だったのでしょう。

 

ところが利風がいなくなり、自分が全てを引っ張らなくてはならなくなった。どころか利風は食われ、その策に対抗できるのは「自分ひとり」であった。これまでは利風と一緒に知恵を持ち寄って解決したことを、その利風相手に自分一人でやらなければならないとなると、これはかなりのプレッシャーです。

 

それでも晴明は戦わなければならなかった。都のためでもなく、利風と自分のために。晴明にとって利風を知恵比べによって倒せるのは自分だけ、という自負もあったでしょうし、利風が自分を信じて託してくれたことに、応えないわけがいかなかった。

 

対峙して即座に「あれは利風じゃない」と、目の前に現れた賀茂利風を否定した晴明が、劇中でパイを「利風」と呼び続けたのはなぜか。意地だと思います。自分が戦っているのはパイではなく利風。もっといえば、自分が倒すのはパイではなく利風。晴明のなかで利風はパイに負けていないんです。利風と晴明は回想にあったように二人で動いて二人で都を守ってきた。周りを駒としか思っていないパイには理解できないでしょうが、晴明と利風にとって戦いとは1:1じゃないんです。なので、利風の託した通り晴明がパイに打ち勝つことができれば、晴明と利風は負けていない。「利風と晴明の知恵比べ」であれば、利風が負けた相手はパイではなく晴明になる。利風を負かさないために、晴明は「自分が利風を倒す」ことを選んだんです。そこには「利風を倒すのは安倍晴明だ」という意地があったはず。

 

とはいえ、晴明はずっと大きな不安と戦っていたと思います。

利風の知略を読み切って上回れるのか、というのと同時に、本当に自分は利風を理解できているのか? と。ツーカーのような二人でも所詮は他人であり、完璧に考えを通じさせることなんてできやしない。まして、会っていない三年の間に変わっている恐れだってある。本当に自分は利風の考えを読み切れているか? それどころか、今本当に自分は利風の望んだ通りに動いているのか?

 

飄々としていたように見える晴明がラスト、涙ながら利風に「これでいいか?」と問うのは、ずっと迷い続けていた感情が利風を前に発露してしまったのだと思います。事は既に終わっています。今から利風の命が戻ることはありません。それでもそう問うてしまうほど、内心ではずーっと不安に思いながら、(こと知略においては)ひとりで戦っていたのが晴明なんです。最後の最後までそれを見せないのがずるいよね……ニクいよね。

 

なお、この「これでいいか?」は回想シーンの利風の「これでいいか?」と対になっています(BGMが同一であり、流れるタイミングを考慮しても恐らく妄想じゃないはず)。前者の「これでいいか?」は晴明の意に沿って妖を生かしたもので、後者の「これでいいか?」は利風の命もろとも事を終わらせるためのものという対比が、また辛い……。

 

特に大阪公演終盤では「私の願ったとおりだ」のあと、利風が手を広げて晴明の一太刀を待つ様子もあり、そうでもしなければ晴明は止めをさせなかったのではないか? と思うほど、揺れているように見えました。超越的に見える彼が本当は一人の青年に過ぎなかった、とあらわされるこのシーンで、いよいよ安倍晴明という人物に打ち抜かれました。美しいけれども人間味に溢れていて大好きなシーンです。

 

いやでもやっぱラストは切ないね。月影先生にアルプスの大地で利風と晴明を救ってもらえんもんか? なあ……

 

■パイ・フーシェ

晴明が好みだ…晴明もっと見たい…の東京から、パイフーシェンをもっと見たいから終わらないでくれ〜〜!!で泣いた大阪へ。私が狐晴明を好きなのは、まちがいなくパイフーシェンが好き過ぎる敵キャラだったのが決め手。

 

だってこいつあんまりにもオモロすぎませんか?

自分が四宮かぐやだと思って白銀(晴明)と天才たちの銅銭頭脳戦やってたのに、最後の最後で「お前は四宮かぐやじゃねーから!」って言われるんですよ!!!?? 自分を!!四宮かぐやだと!!思っていたのに!!?? 実際は一切相手にされていなかった!!?? 令和に最高の場外乱闘マン見せられてものすごい笑顔になっちゃった。

 

しかもランちゃんという脳味噌空っぽの狐一匹口説くのに小道具用意してノリノリで演技してるんだからもう本当におもしろい。酒持ってなんか喋りはじめた時点で「え?? 天魔王の口説き始まった??」って思ったけど、やってることがバカすぎて、1幕終わって1発目の感想が「なんかクソバカの口説き…なかった…?」になっちゃったよ。

 

向井さん、風で拝見したときは、風髑髏自体の造り的に難しい立ち位置を強いられてしまい、き、きつかっただろな…と思っていたので、こういう形でめちゃくちゃに輝く役を見れたことが嬉しい。心なしか、向井さんも手応えを感じてより舞台を楽しんでくださったように見えました。

 

初日観たときは晴明の仕上がりに比べるとやや弱く押し負けてしまっているかな…と思ったのですが、大阪…大阪が本当にすごくて、なんで大阪が映像に残らないの!? と常に憤る羽目になった。大阪のパイ本当にすごかったんですよ!?

 

1幕終わりの「では、後程」なんて、大阪後半では幕が降りきる前に拍手はじまっちゃうんですけど、わかる!わかるよ…! わたしもなんなら大阪後半は、この時点でスタオベしたいぐらいだった。それぐらいパイフーシェンがカッコ良くてわくわくした。向井さんのパイの後半の爆発力は凄まじくって、晴明とパイの持つ熱が相互に作用しあって高まるのを感じられて、欲を言えばもっともっと見ていたかったです。あと一週間公演期間があれば、よりすごいことになっていたに違いない。悔しい〜!

 

とはいえ初日時点でも私、パイフーシェン大好きだったんだ……。

風のとき「むかいりの顔ちっちゃすぎてどこにあるのかわかりません」と言っていたのが、狐晴明で「むかいりの顔に対してそのほか面積を広げることにより、さらにむかいりの顔がどこにあるのかわからない」が起きるの愉快すぎる。向井さんのスン…としたインテリ顔から「ババア〜!」が出てきたり、大阪後期公演では将監食べたあと「オエーッ!」と汚い嘔吐きを見せていたのも最高だった。ご本人も絶対楽しかったでしょう。

 

あと、どうしても風のときアクション面に課題があるなぁ…とは感じてしまったので、アクションが重要じゃない役だったの良かったですね。向井理が動くのではない、向井理自体を動かせばいいんだ! 弩級の発明。超正解。

 

いや〜……どういう発想があったら「むかいりにでっかい尻尾9本つけて空に打ち上げよう」って思うんですか!? この混沌陰鬱とした令和にぶちあがったオモシロむかいりという希望。愛しちゃうよ新感線&オサムムカイ。

 

絶対次のご出演も中島かずき先生のあて書きで見たい!!!と心から思います。二度目のご出演を引き受けてくださって本当によかった……。

 

以下、キャラに対する所感や個人的な考察。妄想多めな個人解釈なのでテキトーに読んでください。

 

①パイフーシェンの「我執」とは?

実態パイフーシェンがどういう人間でどういうルーツなのか、という点は意外と本編で語られていないのですが、とりあえずタオと付き合っていたなら確実に顔が良いんだろうな。これは絶対真実。私を信じて。

 

パイは自分さえよければどうでもいいを地で行く自分勝手マンではあるものの、狐霊であるということ自体には誇りを持っているようですね。元宝院への「ババア!」も、晴明を嫌うがあまり狐の妖を悪く言っていたのを見て、特にこいつは許さん……と恨んでたんでしょう。人間を食って神になってやろうと思ったきっかけに対しては、迫害を受けたくないというよりは「人間如きに狐というかこの俺が支配されるなんて許せない」というプライド由来に感じます。妖 VS 人間なんて考えたことない。俺 VS 人間。スケールでかすぎパイフーシェンやっぱり愉快。

 

そういうところを晴明に見抜かれていたのか、晴明も一回も説得とかしないのがいいですよね。あいつに何言っても無駄やと思われてるんだろうな……全面的に晴明に舐められてるパイ、本当にカワイイ。でも同情の余地もないので死ぬこと自体はスッキリパイフーシェン。悪役としてサイコーだ……。

 

②どこまでが利風の策だったか?

基本的にはすべて利風の策、もしくは利風の記憶や晴明の意図的な情報提供によって導かれた策だと思います。

 

ただ、ランちゃんを引き入れたのはパイフーシェン自身。というか、元々タオとランを逃した時点で「タオは無理だろうけどランは引き入れられそう・引き入れたら戦力になると考えていたんでしょう。

 

基本的に利風から食べているのは「記憶」「陰陽師としての術」「知恵」とのことなので、元々パイ自体はそこまで頭よくないのかもね。利風から操られていた、というのは直接意思の操作を受けたというより、利風を食べた時点で利風の知恵や記憶をパイが使いこなすのは難しい、食べた利風自体に振り回され・操られてしまったようなもの、ということなのかも。それだとより可哀想だけど…より面白いな……。

 

③なぜ晴明の感情を食べたか?

これに対しては理由が二つあると思っています。

 

・晴明の「感情」によって計算を狂わされたから

利風の記憶は食えても、その記憶から二人の間の絆を読むことはできなかったパイ。絆の源となるのは当然感情。さらに、妖や貴族も巻き込んで一丸となって立ち向かえたのも、ひとえに仲間たちの「感情」があってこそ。「利害」だけではない感情による結びつきは、パイにとっては理解も予測もできないものだった。なので、その発端である晴明の感情を食らうことで晴明に復讐をした。

 

・晴明と利風、二人への報復になるから

食った利風には晴明を通して負かされたパイにとって、利風への報復手段が何もないので、「晴明の感情を食うこと」によって晴明だけではなく、利風への報復ともした。利風からは記憶・知恵・術を食べたので、あと足りないものは感情だけ。その感情に足元を掬われたということで、晴明から奪ってやることにした。この一件を通してパイは人の肉体を殺してもその想いは他人のなかで滅びないことを知ったので、であれば他人のなかの想いごと消してしまえ、と……。

 

こんな感じじゃないかな?

でも晴明は(おそらく)利風を想って涙を流すことができたし、晴明のまわりには晴明を想い、助けてくれるひとたちがいる。結局なんにも理解できていないまま消え、誰にも想われない(本人だって誰かに想われたいなんて発想がない)パイは本当に存在が一貫していましたね。まるで悲哀のない悪役だった。

 

しかし、こんなおもしろい男がここで終わりはあまりにもったいない。五右衛門ロックで居酒屋の店員になって通りすがってほしい。

 

パイフーシェン持ってきてくれ、お通しにもりかの油揚げをよぉ!!

 

■賀茂利風

弊劇団オタクタイムラインでは「開始10分で死ぬ遮那王牛若(偽義経冥界歌)」という即死RTAがおもしろがられている昨今、「開始前から死んでる賀茂利風」という反則スレスレメインキャラクターが殴り込みをかけてくる、そう狐晴明ならね。

 

令和の新感線は即死RTAがアツい! 

京兼調部(蛮幽鬼)だって5分ぐらい生きとったがな!!

 

そんなわけで、私のなかではジューダスの間はまだ生きているがプルルルで死ぬ、と決めている賀茂利風。一幕だけ出てくるんだね〜と言われたら「二幕も出てる!一分ぐらい!!」と必死で擁護してる。それぐらい私は賀茂利風に執着しているし、できればこのプロフィール帳を埋めてほしいと思っている。利風教えてくれ、焼肉の締めはビビンバと冷麺どっち?(私はビビンバだと思うね)

 

出番はちょっと控えめ(…)ですけど、情報量が詰まっていたので、出番の割に彼を理解しているつもりになっています。ちょっとボケっとしたところもありそうだし一見常識人なんだが絶対いい性格してるし、なんなら晴明より思い切り良いところがあったと思いますよ。そもそも「強い狐の妖怪に喰われて自分が思考をあやつって大陸わたって友に倒させよう」なんて策は心臓に毛がしこたま生えてないと無理だからね……。

 

利風の作戦って、晴明だけではなく晴明の願う「人も妖も混じりあう世」があることを前提とした策なんですよ。だから利風は晴明の願う世を肯定していたし、晴明ならそれを為せるとも信じていた。あの地獄のような宮中で、晴明のように外部のつながりもない利風にとって、晴明の存在はほんとうに大切なものであったことでしょう。本当は、戻ってこれたら晴明の望んでいたような都を晴明と一緒に作っていくつもりだったんじゃないかな。

 

だから、晴明に自分は及ばないという自覚があっても、晴明に嫉妬をしたことはなかったんじゃないかな。むしろ超越的な力を持つ晴明がひとりになったり迫害を受けたりしないよう、きちんと上に立つ存在になりたいと思っていたんじゃなかろうか。晴明と年齢はそう変わらない(1〜2年上ぐらい?)ように感じますが、その割によくできた人物だよなぁ。

 

彼の晴明への信頼はものすごい質量なんですが、それを「デカい」「重い」というのは私はちょっと違うかなと思っていて、「深い」がいちばん近いなぁという印象。

 

パイの呪縛から解かれて晴明を目の当たりにし、すべてを理解した瞬間のやさしい笑み、そのまま止めを受けるまでの「来い」と言わんばかりの穏やかな表情。パイの呪いに対して、利風のそれは「お前ならこれから先もひとりで大丈夫だよ」という祝福(陰陽師風にいうと祓え/浄めなのか)に感じました。

 

「すべて私が願ったとおりだ」という言葉は、たった一言なのに愛情に満ち溢れている。「晴明が利風を殺す」という晴明にとって至極辛い選択までも、利風が願い導いたこととして冥界まで持っていくつもりなんですよ、彼は。飄々と事態を切り抜けて戦い抜いてきた晴明が本人さえ知らないところで傷つきながら頑張り続けていたことを、利風は瞬時に理解できるんです。もしかするとこの選択をした時点でそうなることを想像していたのかもしれませんが。

 

千秋楽含め、たまに「すべて私が願ったとおりだよ」で涙声になることもあったようだけど、すべてを為したうえでボロボロになり、悲しみを背負った晴明に「つらいことをさせてしまった」という兄心だと解釈しています。利風は自分の運命については嘆いていない。自分があの場にいてよかった、おかげでパイを封じられたとさえ思っているはず。

 

こう書くと苦しいことばかりの人に思える……実態すごく苦しく悲しい人なんですが、一方で利風と晴明の対決自体には、私はいいなぁと憧れちゃうところがちょこっとあるんですよね。「自分の考えを絶対理解してくれる友と、最後に思いきりぶつかりあう」そんなことをできる相手に出会えることって、あります? ないよ。どこかで利風は晴明との戦いを楽しんでいたんじゃないかな、とさえ思っちゃいます。楽しめる余裕、あった気がするよ。だって相手は晴明で、ぶつかりあうことはこれまで一度もなかったけれども、ぶつかれば絶対に自分を打ち倒してくれるという信頼があったから。

 

なので悲哀はあれど、どこか死に際に晴れやかさもある人でした。

 

あ〜あ!晴明と利風がいろんな妖や渦雅・悪兵太たちと交わって、二人で事件を解決したり妖を退治したりするスピンオフが見たかったな。

 

利風の出番は少ないように見えるかもしれないがパイの考えた「策」は全部利風そのものなので、「策」が出てる時間も全部利風の出演時間とカウントしてください。

ほら増えた!! 利風の出番増えたよ!!

 

■タオ・フーリン

あの吉岡里帆にこんなにかわいげのない女をやらせる!!!??? 

わたしは新感線に出てくるかわいげない女、大好きです!

 

素直でまっすぐ、場合によっては猪突猛進であり、でも弟に嘘を吐いちゃうような狡さも持ち合わせている。狐なのに、なんなら作中で一番人間臭いと感じるかもしれないキャラメイク。ひたすらに素直と見せかけて、後半に入ると安倍晴明の相方らしく、性格悪めの立ち回りもしてしまうのが良かった。どんどん晴明の相方らしくなっていったので、ラストも「タオがそばにいてくれるなら晴明も大丈夫でしょう」と信頼できるようになりました。

 

ぶっちゃけオタクは「中村倫也吉岡里帆が並んだらちょっとLOVE的なものが巻き起こるのでは」と二幕途中まで期待しまくってたんですけど、晴明とタオの関係性があまりに色気なさすぎて、なんか途中「タオさんタイが曲がってましてよ」みたいなやつもあるし、あっこれ今回はLOVEとかそういうんじゃないなと気づいちゃったな。

 

したらば戯曲後書きによれば「晴明がホームズならタオはワトソン」ということで、吉岡里帆を起用しながらもヒロインらしい立ち回りは一切なし・がなって地団駄を踏みまくる女になってるのは完全予想外でしたね。パイフーシェンがタオと付き合っていた理由が「俺にたてつくなんておもしれー女……」だったとしか思えんわこんなの。

 

でも顔はめっちゃかわいい。本当にかわいい。オペラで見ると可愛過ぎて「うわっ…こんなにカワイイ顔この世にあるんだ…」って引いちゃうぐらい可愛かった。大阪楽のカテコではぴょーんと狐のように跳ねてポーズを決めてくれたんですが、これがカワイイのなんの……吉岡さんいいなぁ〜、次もこういうおてんばな役柄で出てきてほしい。

 

ちなみにタオが置かれている「異国でひとり、別の種族にために戦い抜いた」という状況って、まんま利風とおんなじなんですよね。それもあって晴明はより強くタオに思い入れた部分があったかと。パイに食われちゃった同種属の仲間たちと比べれば、パイがやばいと事前に理解できていたタオは賢くはないものの勘の鋭い子だったんでしょう。その勘が弟にもちょっとは引き継がれていればなぁ……。

 

しかし「付き合ってたからわかるの!」はびびった。近年いのうえ歌舞伎でここまですごいセリフ聞いたの久しぶりだよ。そりゃランちゃんだって「勝手なこと言うな!」って言うわ。「付き合っていたからわかる」その言葉……伊達土門くんやラギくんが聞いたらどう思うでしょうか?(どうもこうも……)

 

■ラン・フーリン

いのうえさんは早乙女友貴をなんちゃいだと思っている!!!!!!!??????

今回は開演15分以内に死ななかったね、それどころか最後まで生き延びたね。「生」の実績解除おめでとうございます!

 

バカで厄介だが憎めない(なぜならランちゃんがおバカなほどパイフーシェンがおもろいから)、アクション的な意味も含めアクセントとして抜群に効いていたな〜。初出演の蒼の乱から見守ってきた勢からすると、演技面もかなり上達したね……と親目線になっちゃったので、やっぱいのうえさんが年齢を誤認しちゃってるのも致し方なし。私も責められませんでした。

 

あまりにも短絡思考・言われたことそのまんま受け取り過ぎなんだけど、これ姉の教育にも多分問題ありますよ……姉なのか、親なのか? 姉にも姉で問題があるので、一概にランを責められないところがあるんですが、とはいえ「ぼくは最初から晴明の味方でした!」みたいな顔してラストシーンに混じってるのはおもしろ光景すぎ。

フーリン一族に「誇り」はあっても「倫理」とか「教育」ないんか?

 

最終公演あたりは殺陣がどう考えても人殺しのそれになっており、こりゃ〜今日の泰山府君祭、「ナシ」じゃないっすか? と腕組みしていましたが、なんか戻ってこれたね、よかったね。晴明もさすがにランに対してはちょっと微妙だけどまあ蘇らせるか…というテンションで蘇らせてるのがおもしろい。ランちゃん、勉強しよう!

 

ランフーリンは考察することがなにもないですね。頭からっぽカラカラすぎる。おかげさまで、ランちゃん出てるシーンは難しいことな〜んにも考えずに耳垂れた! カワイイ〜!で見れたので、存在自体が愉快でよかったです。

でもランちゃん、勉強しよう! あつ森で!

 

■尖渦雅

大阪で確変起きてたもう一人。演技レベルがというかそもそもプランが結構変わったような印象受けます。大阪狐晴明の印象ががらっと変わったのも、確実にこの渦雅が起点でした。東京公演では生真面目ゆえ損をするタイプに見えたのが、大阪では「真面目だけどそれ以上におバカ。バカ正直」っていうふうに見えて、そしたらすっとこのキャラクターを受け取れるようになった。

 

大阪から私は晴明の「今のあなたならわかるんじゃないですか? 渦雅さん」で泣いちゃうようになったんですけど、晴明というより渦雅が変化したのが伝わったからなんですよね。「検非違使として都を守る」という意思を持っていったものの、その都の実像をうまく描けておらず、迷いの多かった渦雅。その渦雅が騒動を経て妖やならずものとも交わり絆を築き、彼のなかでの「都」の範囲が広がっただけではなく、より確かな実像となった。

 

そしてこの渦雅の心情変化が汲み取れるようになったことによって、観客としての狐晴明への没入感が一気に増した。狐晴明は主人公の晴明、相方のタオへ感情移入しづらいので、観客視点の人物が不在なところがちょっと不親切だったんですよ。が、渦雅の変化で観客視点の置き場が決まった。渦雅が理解したタイミングで、観客も「晴明の望んでいる世界」を理解できるようになったんです。それがすごくよかった……。彼を通して狐晴明の世界がクリアに伝わった。派手ではないものの確実に狐晴明においてのキーパーソンでした。

 

■悪兵太

野暮を承知で申すと、夢三郎を経たりゅせりょにこの役当てる発想、人の心ないですよ! 前情報入れないで現地行ったので出てきた瞬間心の中で爆笑しちゃった。

 

悪兵太はなぁ〜1景をまるっと削られちゃったのが本当に痛いキャラクターだなぁと思うんですが、ここ最近のいのうえ歌舞伎に流れている(と勝手に感じている)「生きてこそ」文脈を体現していたのがよかった。これまたまっすぐなバカなんだけど、ならずものの身分であるゆえに、渦雅よりも現実を知っていてある意味冷静なところがある。なので、仲間に諭されて「どんな形でも生きる」と決めることができる。これもなぁ……前回夢三郎やってた人間にこの対比、意図してなさそうだけどえぐいな……と思っちゃいますね。

 

悪兵太は「平民代表」なので、渦雅の考えていた都に悪兵太たちが入っていないのと同時に、悪兵太の考える都には貴族や検非違使は入っていなかった。だから「妖」を身内だと思うほうが先なんですよね。それぐらい貴族を遠い存在だと感じている。実は物語開始時点での自分の身内以外への偏見は、渦雅よりも強かったんじゃないかと思う。でも、銅山での協力を経て「貴族」も人間なんだと思えて……彼のなかで「どいつもこいつも生きているんだ」と確信を持てるというプロセスがあったからこそ、さまざまな方向からの「理解と受容」を感じ取れました。

 

最終決戦ではすっかり打ち解けて、悪兵太が渦雅を信頼する様子が見てとれたのもすっごく良かった。こういう縁を晴明がつないでいるから、晴明の心が晴明のなかから消えても、まるきり消えるわけじゃないなと希望を持てました。

 

芦屋道満

はい、作中最強リアコ枠!

千葉さん出てくるたび千葉さんは最高にかっこいいんですけど、今回特に最強じゃなかったですか? うさんくさいのにやる気出したらカッコいいおじさんを千葉さんにやらせてハマらんわけがない。

 

この人は見たまんまなので、あるがままを受け取って「かっこいい」「好き」「勘弁して」と言うほかなかったですね。モフモフ好きというギャップ、肩に乗っているハコちゃんのかわいさ、藻屑前との夫婦感。ぜ〜んぶたまらんかった。

 

何気に式神として勝手に肖像権を使用されまくってるせいで、本当の道満が出てる時間は意外と短いという。結構な働きを劇中ではしてくれてますが、結局のところ彼も晴明と同じく、いろんなものが混じり合った都を守るためならいくらでも戦えちゃう人なんだろうなぁ。今後のランちゃんへの教育、あまりにも道満頼み(なんとかなると思いますか?)(思わん……)。

 

■元宝院

個人的にとても好きな人だった。なんだろうこの塩梅、賢いとはいえないけど愚かでもない。優しいとは言えないけど卑劣でもない。絶妙なバランスの人物だった。

 

終盤で元宝院が晴明のことを「おぬしのことはよくわからない」と評するのが好きで、わかりあえなくたって受け入れることはできる、ということを元宝院が表現するのが、狐晴明にとって必要なんですよね。「わからないものも受け入れる」それこそが共生だから。

 

とにかく、わたしが頑張らないと! と気を張っているのに精一杯で、他のことを考えられない人なんだろうなぁと感じた。この硬質でありながら愛嬌がある雰囲気はやっぱり高田さんにしか出せないですね……。

 

■藤原近頼

晴明を利用しようとしていたが、それごと見抜かれており、パイには食べられて「まずい」と言われてしまう始末。つくづくな役どころで笑っちゃうな。

こらパイフーシェン! 食べたならご馳走様ぐらい言わんかい!

 

「絶対これ裏切るでしょ」からの「きたきたきたきた」はもはやお約束! お約束なのに、声が変わった瞬間「やったーー!!!!!」と心のなかのオタクがガッツポーズしちゃうんだ。粟根さんの腹黒ボイスは実家のような安心感があるので、もはや聞こえてくると来ましたねえと後方彼氏ヅラ腕組みしちゃうんよ。

 

■橘師々 / 又蔵将監

師々様、近年ナンバーワンの癒し系右近さんでテンションあがっちゃった。ハケるとき結構ファンサしてくれるの嬉しくて、師々様推しちゃお♪ って思ったよね。一幕から。

 

二幕に入ってからはまさかの浄化・完全萌えキャラ化。将監に見下されてマイクオフで文句言ってたのが可愛過ぎました。師々は将監ほど根が腐っていたとは思わないので、「臭い」と言われていたのは彼の気質じゃなくて、溜まっていた澱の度合いだったのかな?

 

対する将監はもうね、外道なだけならともかく、死んだあとに元宝院に存在忘れられてたのでめっちゃウケちゃいましたよね。師々様は許されたのに……将監は木こりになったらダメでしたか!? アドリブ多過ぎたせいですか!? 

 

それにしても将監がなぜ地味に成り上がれてたのか、それが一番の謎かもしれんな。

 

■白金/牛蔵

村木さんとカナコさんをシンメにするとこんなにもカワイイ!!!!!!

これはなかなか得難い発見だったんですけど、ほんとうにほんとうにかわいい。私は特に劇団員では山本カナコさん推しなんですが、カナコさんの横に村木さんがいると、カナコさんのちまっと感がより強調され、対する村木さんの安定感あるフォルム(笑)も際立ちと、いいところしかなかった…!!

 

日によってはタオと晴明初対面のシーンで、晴明が式神から出されたお茶をまずそうに飲んでいたりしたんですけど、あの式神たちなら晴明にテキトーに淹れたお茶飲ませそうで、納得感ありすぎましたね。ふてぶてしくも甲斐甲斐しい、というのがまた晴明の人柄を反映しているのかな、と思うとちょっぴり切なささえある愛しさの二人でした。

 

■妖たち

終演後に「少女漫画テイスト」みたいな表現を見かけたりもしたですけど、少女漫画テイストの演目は股間に蛇口ついてる人出てこんのよ。

 

こうやってわけわからんコスプレ妖怪出てくる瞬間がいちばん「新感線見にきた」って気がする。コスプレとか突然出てくる足湯とか、なくても成立するものがぼんぼん出てくる馬鹿馬鹿しさこそ、新感線の楽しさなんだよね。

 

藻屑前のキャラデザがすんごく好き! あの尻尾のもふもふふわふわ感……作中でいちばん触りたくなりました。「あたしが救われたのは晴明さん」といいつつ、道満のことを大事に思ってそうなツンデレ具合も可愛い!

 

じゃばらはこっそり民に紛れて銭のすり替えをしてくれてたみたいだけど、他の妖怪たちがどう紛れ込んだのかは素直に気になる。油ましましにすり替えられた銅銭とかすごいぬるぬるしてそう。

 

 

そんなこんなで東京公演から考えていたことを書き連ねていたら、なかなかのボリュームになってしまいました。それだけ見所が多かったということで……。

 

「晴明御一行」および「パイフーシェンと愉快な中ボスランちゃん」を見ているのがとても楽しくって、賑やかさのなかに切なさと暖かさもあって、後半になればなるほど勢いが増していく、不思議な味わいながら大好きないのうえ歌舞伎でした。

 

欲を言えば情勢を鑑みてカットされてしまったシーンも踏まえて、ブラッシュアップのうえ再演してほしいですね。私自体はあまり再演を求めるタイプではないんですが、狐晴明は実際上演されることで、制作側が想定していた形とはかなり違う方角に立ち上がった箇所も多いはず。生の肉体とリアルタイムの応酬による物語のうねりは演劇の醍醐味で、特にこの演目にはその立ち現れが多かったと感じます。故の惜しさもあったのですが、核に力強さのある演目なので、元の台本を機軸に実際の上演であらわれたものを織り込んで整理できたら、より化けると思うんだよなぁ。せめてライビュが大阪でもあれば……。

 

イーオシバイ様におかれましては何卒お願いします……大阪の映像を、記録用でもかまわないので、残してほしいです……ダイジェストでもよいので……。「大阪ほんとうにすごかったんですよおばけ」になっちゃうよ!

 

そんな願いはありつつも、2021年どうしても寂しさを味わうことが多かったなか、年の終わり側に思いっきり楽しい体験をさせてもらえたことに、本当に感謝しています。ありがとう新感線、客演のみなさん、スタッフのみなさん!

 

またディレビュ見たらなんか書くかも!

でもとりあえずはここでおしまい。狐晴明九尾狩がだいすきだー!!!!!幸せな2021年をありがとう!