お芝居は揺らぐから、私は多ステする

 
あーーー終わってしまったほんとマジめっちゃしんどい……
自分がいまどうやって生きてるのかその原動力どっからひねり出してるのかホントもうわかんない……
 
というわけで、多ステ(念のため解説すると、複数回同じ舞台へと足を運ぶことを意味するよ!)していたお芝居が先日千穐楽を迎えました。

念のため警察に怒られたくないので弁明すると、便宜上「多ステ」という言葉を使うが、多ステというほど通ったわけではないです。

おそらく一般の人の前で言えば「えっ!?同じお芝居をそんなに観るの!?」と言われるが
多ステ勢のみなさんの前で言えば「え?そんだけ…?なんで?……お金なかったの?」って言われると思う。その程度の数なので大丈夫。大丈夫です。何かが。

それでも、まぁそれなりに時間を使い、何より腰をすり減らし(電気を打ってから観劇に行くのはあまりにも優しくしてくれた医者への反逆すぎて申し訳なかった)て通わせていただいた舞台でした。
終わった今は、ちょっとした放心状態。もうこの土日に足を運んでもあの舞台はやっていないし、お客さんだっていないし、ジューダスは聞こえてこないし、捨之介は太ももを丸出しにしていないんだなと思うと苦しすぎて脳内ではやっていることにしてしまう。勝手に。
おとといのマチネ荒武者隊退場ソングはアゲハ蝶だったってホントですか〜〜〜!?

冗談さておき、喪失感に苛まれながらいろいろなことを考えていた一週間でした。
そのうちひとつ、特に考えていたのは「なんで私は多ステしたんだろうなぁ」ってこと。

ヤバいぐらい集中力ないんですよね、私。昔から集中力のなさが売りで、何回「集中しなさい」って言われてきたかわからない。低学年の頃とか絶対名前呼ばれるよりも「集中しなさい」言われた回数のほうが多かったよ。盛りましたすみません。
とにかく、私は観劇オタクをやっていくのに大事な要素「集中力」をドブに落っことして生まれてきてしまったんですよ。だから基本的には多ステしないんです。3回までかな、飽きずに観られるの。それ以上は滅多にないです。

そんな私がなぜ、こんなに多ステしてしまったのか。(いや、正確には夏も同じ芝居のキャスト違いに通ってたんですけど)単純に見ていて好きで楽しくって何度も観たくなるからなんですけど、何故このお芝居だけ「何回も観たい好き」を覚えてしまうのか。考えていて……
 
結果として、私は私のなかにあるこのお芝居の「揺らぎ」のなかにあるものに興味があるんだろうな、と思った。
 
お芝居って、物語を伝える手段のなかでももっとも揺らぎが大きいものなんじゃないかと、思っているんですよ。
その日のコンディションや雰囲気に左右される人間という生き物が演じて、それを観客が客席から見る。この客席位置によって見えるものは全然違うし、見方も変わる。どうやっても同じ公演になりっこないんですよね。
おまけにお芝居って、自分の趣味嗜好に合わせて見る視点を定めることができる。あの人が好き!って役者さんがいれば、その人だけを見ていることだってできる。同じ公演がないだけじゃなくって、同じ公演でも違うお芝居を見ている人間しかまわりにいないんですよ。人の感想見て「そんなことしてた!?」とか「え〜このひとはこう思ったんだ…!」とか、びっくりすることがいっぱいある。
 
そんな風に揺らぎが大きい「お芝居」だから、その「物語」を追いかけたいと考えた時に難しくなってくるんですよね。もちろんぱちん、と一発で解釈が決まることもあるんだけど、私が今回ハマった舞台は、私にとってはそうじゃなくて。でも、このお芝居に通ったのは、このお芝居が「揺らぎの大きいタイプのお芝居」だったからじゃないかと思う。
つまり、大きな揺らぎを目の前にして、でもこの物語を好きだと思って、もっと理解したいと思ったから私はあそこに通っていたんじゃないかなぁ。
 
多ステっておもしろいんですよ。
うわっ!この回好きだったな、って思って、次見たらその「好きだったな」のところなくなってたり。どうしても「あの回はよかった」「この回はちょっとイマイチだった」とかあって……純粋な楽しみ方じゃないかもしれないけど、でも「あの回でこうだと思ってたこと、もしかしてこの回を鑑みるとこうなのかな?」ってつなげて考えてみたり、それを終わり際の公演でひっくり返されたりするの、すごく楽しいんだよね。
 
というわけで、やっぱりロングランでの多ステって、楽しいねーーーっ!
役者自身の「こいつってこうなのかな」とか「もっとこうしたほうが、こいつのこと伝わるかな」という葛藤、回りの役者に突き動かされて変化する解釈、お芝居。そういう過程を見守れるのもロングランならではだし。
役者さんの負担は大きいのでおいそれと「ロングランして」とはいえないのだけど、でも……見る立場としては本当におもしろかったな。幸せでした。
 
結局、その揺らぎのなかにある芯を見つけ出せるかどうかは、私にとってそんなに大事じゃないのかもしれない。役者が表現しようとしているその人物を、物語を、いっしょに読み取ってみたいなぁと奮闘してみる、その体験を楽しんでいるのかな。いわば私のひとりプロレスなのかもしれないなぁ。
でも本当に楽しかったですよ。多ステはしたけど、私が同じ劇場に通って、同じ役者が演じるのを見ていたあのお芝居は、ひとつとして「同じお芝居」ではなかったから。そして私が観劇していたその回のお芝居もまた、同じ回を観劇した誰ひとりとして同じ視点から見ていない、私だけが見ていたお芝居だから。
 
色々言ったんですけど……
とはいえこんなことをうだうだ考える以前に
 
「は〜推しが舞台で暴れてるとこまた見たい」
「っていうか髑髏城は脳に直接キメられる夢見酒だから定期的に飲まないと無理」
 
という気持ちがあることも、また真実!!!!!!!!!!!!!!!!!!
やっぱ動く推しを生で見るというのは人生にメリハリが出る素晴らしい体験なので、生で推しを見るために人生頑張って行こうと思います。昨日ばっかり向いてたら意味がないって捨之介も言ってたしな。オタクよ、明日に向かえ。
 
というわけで、月髑髏上弦下弦の感想が書き終わらないので、先んじて最終感想にむけてのお通しをおいておきます。
終わんない…感想が終わらないよ髑髏城くん……