事務所

おもに劇団⭐︎新感線まわりの怪文章を投げています

KAT-TUN最新アルバム「Honey」をSixTONESのオタクがサブスクで聴いたらHAPPYになった日記

こんにちは!SixTONESのオタクです!
KAT-TUNのニューアルバム「Honey」(サブスク解禁済み)を気軽な気持ちで聴いたら「え〜〜っいいジャン……」になり、同時に「うわ〜〜このアルバム、好きって人いっぱいいる!!絶対届いてほしい!!」という衝動に駆られたのでブログ書きました。
 
このアルバム、サブスクあるよ!!!あぽみゅはこちらから!!
 
KAT-TUNは円盤持ってる友達に見せてもらったり、自担がカバーしていた楽曲を聞いたりのレベルで認知している者なのですが、このアルバムは本当によかった!
 
Honey」の何が良いかって、まぁとりあえずアルバム1曲目のこれでも聴いていただいて……
 
この曲で「いいじゃん!」と思った人はそのまま各種サブスクにてHoneyを検索しましょう。この曲が好きな人はこのアルバム絶対好き。私ももれなくこの曲大好き。
 
Honey」はとにかく全曲耳心地が良い。基盤は令和ジャニーズポップスなんだけど、そこにEDM・Hip-Hop、時にR&Bなどなど、様々なエッセンスを加えることでKAT-TUNのフレーバーが一気に香り立つ。適量のほろ苦さがあるゆえに甘さも際立つ様はまさにHoney、甘ったるくない大人のポップスがこれでもかと詰まった聴き心地全振りのアルバムだった。
 
決して単調というわけではないが、ジャニーズアルバムにしては珍しいほど楽曲の色に統一感があるんですよねー。
ジャニーズのアルバムってどっちかというとジャンル縦横無尽でバイキング的な楽しさを優先することが多い気がしますが、Honeyは同じ店で作られてるランチタイムのフルコース。おなかいっぱい感より生活のなかで何度も聴けそうな味わいに、サブスクへの意識をひしひしと感じる。
 
個人的なお気に入りはファンキーなベースに小気味の良いメロが気持ちいい「Honey on me」と懐かしさもあるミディアムナンバーの「Love Supply」。世間的にはオラオライメージが根強いKAT-TUNが、SMAPを思わせるような洒脱なポップス「Womanaizer」で締めるのも粋。
 
でも個人的な一番の聞きどころは「道徳も罪や罰も今は置き去りに」ばりばりR-18セクシー洋画女優ですか?という歌いぶりの亀梨先輩と、中丸先輩のたのしいようちえんにのせても問題なしで健全な「背徳と快楽」が同居するPrisoner。こんなにエロのアップダウンが激しいことある!?
 
KAT-TUNによるジャニーズ・ポップスのさらなる昇華・Honey、ジャニオタもそうじゃない人も一聴の価値ありありのありです! 
何と言ってもサブスクにあるので……。
 
私は生粋ジャニオタかというと、ま〜正直そんなことはない…ジャニーズに対して全肯定できないところも多々あるSixTONESのオタクで普段はジャニーズ以外の曲を色々つまみ食いしているんですが、ジャニーズが送り出す楽曲は本当に良質だと思うんですよね。ポップスとして洗練されているものも多いし、オタク以外が聞いたらびっくりしそうな、トレンドを攻めた楽曲もいっぱいある。それなのに、楽曲がオタク以外が聞かないメディアでしか開かれていないことを、すごく残念に感じているんですよ。今回のHoneyだってサブスクなければ恐らく出会ってないし……。
 
何が言いたいかというと、ジャニーズ事務所は早急に全グループのサブスク解禁をお願いします。
これだけいろんなグループがいい音楽出してるのに、オタクにしか届かないのはあまりにもったいないよ。本当に本当にお願いします!
 
最後にSixTONESのオタクなのでSixTONES・現時点最新アルバム「CITY」の試聴も貼らせてくれ。
Honey」お好きな方はきっとこちらも好き。生活に根付くサウンドをボーダーレスに集めたナイス・アルバムです。
 
▼試聴
 
▼あまぞん(アフィじゃないよ
(個人的にはPapercut・Takes Twoが収録されてる初回Aがオキニです)

「狐晴明九尾狩」お疲れ様でした総括感想〜「いない」人間を信じるという幸福〜

「狐晴明九尾狩」まずは1公演も欠けることのない完走、ほんとうにお疲れ様でした。偽義経の中断から二年。想像もつかないような苦しみが、劇団に関わる多くの人にあったかと思います。そんななか、最後までこのお芝居を届け得てくださった全ての方に感謝が尽きません。本当にありがとうございました!

 

そして、いやー……自分でもびっくりするほどハマってしまったというか……「まさか」感がある個人的な大ヒット演目でした。

 

発表時はまず「この過去最強月9感キャストのなかで早乙女友貴は何するんだよ」だったので、なんとなく演目的に今回はそこまで私向きじゃないかな? という印象も受けたんですが……なぜか直前に「狐耳つけた吉岡里帆早乙女友貴がシンメになっている」という人生で見ることがないであろうと思っていた光景を事前に目の当たりにしたせいで、気づけば初日に来場。そして1幕が終わった頃には、心のなかの劇団オタクがウッキウキで踊り始めていたのだった。

 

すごい!!!こんなキャスト呼んできて令和とは思えない陰陽師バトル!!狐耳!!狐尻尾!! 1幕終わりパイフーシェン「では後ほど」を見せられた段階で、オタクは自分のグルメ細胞に適合する食材を口にしたトリコの状態を完全に「理解」した。

 

と、同時に「劇団⭐︎新感線の主人公オタク」として、すでに脳味噌ぐわんぐわん。

 

え……あの安倍晴明とかいう男……「ヤバ」くない……??????

 

遅まきながら自己紹介させていただくと、

私はいのうえ歌舞伎にあらわれがちな「自分を取り巻く世界や他人のためには頑張れるけど、その世界から自分をナチュラルに勘定から外したうえに、自分は強いんでだいじょうぶで〜すという顔をした主人公」に打率100%の弱さを誇っておりまして、中村倫也にその主人公属性がのっかると何が起きるか?

 

そう、ビッグバンですね。

 

とにかく安倍晴明という主人公が性癖に大ヒットしてしまい、1幕で息絶え絶え。そのため、2幕見たあとには「晴明がなにしたんだよ!」と泣きながら会場出る羽目になったんですけど(二年前のACTではりざちゃんがなにしたんだよ!!って叫びながら会場出てきた)。いつもいつもいつもいつも主人公は…主人公は…主人公って最高〜〜!!!!!

 

というわけで主人公オタクとしては手ひどいダメージを受けたものの、実際の帰り道はド・浮かれ倒していたのが実態で、

 

私は自分はメイン!自分こそがこの物語の中心軸です!とウキウキで暴れてるけど全然そんなことない男、通称:「場外乱闘の男」が大好きなんですが……パイフーシェンがまさか10年に1人の逸材級「場外乱闘の男」とは思わず。思うわけなくないですか? 向井理の顔した男が場外乱闘になるなんてそんなこと普通起きないんだよな!?

 

つまり、あまりに自分の好きな僻地の性癖を抑えられてしまったのが大好きの要因なのですが、さすがにこれだけなのはあんまりなので、もうちょっと細かく好きな点を書いていきます。

 

①物語の構造

わたしはひでかず歌舞伎に「一撃必殺」を求めているので、苛烈な一撃が決まってくれるとそれだけでその演目のことが大好きになっちゃう。狐晴明においては「安倍晴明 VS パイフーシェン」の対立構造だと思っていたものが、実は晴明はずーっと利風と戦っていて、パイフーシェンは眼中なしでした! という種明かしに「一撃必殺」を喰らいました。

 

またそれ自体が私の主人公オタクとしての性癖にもかなり響いてしまい、もう降伏ですどうにでもしてくださ〜〜い!!と両手を挙げてたら、私じゃなくて安部晴明がひどいことされちゃって真剣号泣かました。

 

終演後の感情 → わたし「いや……そうはならんやろがい…」 新感線くん「なっとるやろがい!」

 

②作中キャラクターの織り成すコミュニティの広がり

これは特に大阪公演で強く感じた部分。

 

妖と人間、貴族と平民、はぐれもの……と様々なコミュニティが晴明を結節点としてつながり、一丸となっていくのがあったかくて好きでした。このあたりは髑髏城と近いんですが、髑髏城はやっぱりそれぞれのコミュニティの代表が生き残って、その裏にはかなりの犠牲があって……という構図であって、狐晴明の「みんなで!」感はかなり中島脚本では珍しいなあと思ったんですよね。

 

私は狐晴明でも1,2を争うほど好きなシーンが銅山に妖も人間も貴族も平民も集まって、対等な者同士で接しているシーンで……「今のあなたならわかるでしょう、渦雅さん」ここで絶対うるっときちゃうんですよね。

 

都が舞台でありながら宮中内に留まらない、それ以上の世界の広がりと繋がりの暖かさが見えるのが、特に好きなポイントでした。

 

安倍晴明とパイフーシェン、対立する二人のキャラクターの魅力

これが一番大きい。1:1の対決モノとなると、どうしても二人のキャラクターが魅力的であることが求められると思うんですが、個人的には狐晴明はそこが完璧。安倍晴明もパイフーシェンも三時間こっきりで終わらせるにはもったいない、魅力あふれるキャラクターでした。

 

飄々としていて表情豊かで変わりものでいい性格してて、主人公らしからぬな安倍晴明。一方、ランフーリンを味方に入れてからは表情が豊かになり、いきなりコロコロコミックのキャラクターみたいになってオモシロカワイイパイフーシェン。でも同情の余地は一切ないので、パイフーシェンの敗北自体には納得できる。ちょうどいいバランスなんですよ。

 

この二人のキャラクター・バランスは今回のキャストありきで生まれた、あて書きならではのものだな〜と思いつつ、一方で、だからこそ「別キャストで見てみたい」という気持ちが湧く面もあります。すごく変な言い方になるんですが「中村倫也安倍晴明向井理のパイフーシェンが最高」でありながら、ちがった人間がやれば想像もしてなかったものが出てきて、それはそれで強烈な光を放つんじゃないかな、と。ここまでのキャラクターに強度があると、だからこそという欲が出ちゃいますね。いのうえ歌舞伎見てこんな感覚になったの初めてで自分でもびっくりしてる。もちろん、そこまでキャラクターを昇華した二名のキャストが凄まじいのは当然として、ですよ。

 

いやだってさ、生田斗真晴明VS山本耕史パイフーシェンとか観てみたくない??

たぶん剣と呪術とか捨てるし、なぜかパイフーシェンの服は半分ぐらいビリビリに破けてて二の腕丸出しだし、最後は「うおおおおおお」って叫びながら拳をぶつけあって、その衝撃で都中が光に包まれたりする。作画がTRIGGER。

 

「僕の考えた狐晴明九尾狩・花」キャストがあったら、ぜひわたしにも教えてください!!

みんなで作ろう狐晴明九尾狩〜花鳥風月極〜

 

ここからはキャラごとの感想と、考察という名の妄想書き連ねです。

 

安倍晴明

は〜い大好き大好き大好き!!!!

前述の通り、私が狐晴明を好きになってしまったのは、ひとえにこの安倍晴明がめっちゃくちゃに好みだったから。

 

キャラデザがそもそも好きなんですけど(新感線はアニメ)、回想シーンでいきなり駄々こねクソガキムーブが始まった瞬間、脳がじゅうっとバターになって溶けちゃった。頭が良くて性格が悪いクソガキ、なのに立ち位置は主人公、完璧でーす!!

 

「いい性格をしている」を一段階超えて、普通に「性格悪い」の域に入ってるのに、正義であり善でありそのポジショニングには違和感がない。笑って怒って悲しんでるのに、仲間含めて周りを騙しまくって……こんだけキャラがくるくる動けば掴みづらく愛着を持てないキャラクターになりそうなものが、全ての在り方が魅力的で見れば見るほど大好きになれる。中村倫也、改めてとんでもない。恐ろしい。 実はVBB未見勢のため、新感線での中村さんは初めて拝見したんですが、私はこういう0番を新感線に求めていたんだな……と気付かされました。

 

これだけ物語を牽引しながらも、一人のキャラクターとしてめちゃくちゃ魅力的。殺陣もサマになってるし小技もおもしろいしで、ついついオペラで追ってしまう。晴明に吸引されてあっという間の二ヶ月でした。愛しんでしまえば愛しんでしまうほど結末がきついのがまたしんどくって、また忘れられない男が増えちゃったな……。

 

中村倫也さんには是非また新感線0番として私をめちゃくちゃにしてほしい。次はチケット取る前から「中村倫也でめちゃくちゃになる」という覚悟を決めとくからよ!

 

以下、キャラに対する所感や個人的な考察。妄想多めな個人解釈なのでテキトーに読んでください。

 

①晴明が狐晴明を名乗っていたのはいつから? 真意は?

これはかなり妄想ですが、回想の利風とのシーンの1年前ぐらいじゃないかなぁ……と予想しています。理由は恐らく本編で述べた以外に「利風を立てて自分を落とす」ため、もある。晴明自体の能力が高いこと自体は知れ渡っているわけですから、利風が「一歩引いた」と言うのが能力の優劣の偽装には見えない。となれば、「自身が狐との混血である」という噂を流して、であればふさわしくないと思わせたのではないのかなぁと。

 

一方で、晴明としては噂だとしても「狐晴明」を名乗れば妖と人の中立的立場に見え、妖側の立場に立ちやすく、人間と妖のパワーバランスを均等に持ちやすい。ついでに本人が言う通り「重用されなければ都の面倒ごとに巻き込まれないで済む」のも、確かに大きな利点。とはいえそれも、利風がいるからこそのポジショニングの取り方。利風がずっと日の本にいて、自分の上に立ってくれるだろうと考えていた故の立ち回りなんでしょう。

 

晴明としては「自分を信用しすぎないほうがいい」と劇中口にしますが、そういう「信用ならない人物」を演じるのも晴明の望みだったんでしょう。そういう人と思われたかったのもあるし、周りの人間に「自分で決められる人間」になってほしい、という気持ちもあった。そういうところも含めて「狐」を名乗っていたのかな。安倍晴明自体が死後にさまざまな伝説が流布し、その存在がひとりあるきしていった人物なので、彼は「自分の望んだ自分」という像を無意識で演じようとしている人に見えました。唯一、素の自分を見せられたのが利風だったんだろうが、そのことにも自分自身では最後まで気づいていなかったかもなぁ。

 

「及ばずながらな」と言ったことを「お前らしくない」と咎められて嬉しそうにするのはそのあらわれで、自分自身よりも自分を認めてくれる利風のまっすぐさがシンプルに嬉しかったんだと思います。

 

②利風を偽と見抜いたタイミングはいつなのか?

これは私も結局最後まで100%の確信は持てなかったのですが、戯曲と合わせて考える限り、「利風が現れた瞬間(その前)から疑っていて、それが再会の対話で確信に変わった」でほぼほぼ正解だと思っています。

 

戯曲(削られた一景が丸々収録されているので、ぜひ買ってね!!!!)上では、晴明は「九尾の形に別れる流れ星」を見た翌日に利風の帰還に立ち会っている。晴明としては「九尾の流れ星」という凶兆から九尾の妖狐が日の本へ渡ってきている=妖狐であれば何かに化けて目の前に現れる可能性がある、ということまで読みきれないわけがないし、なんなら「大陸から戻ってくるものの筆頭=賀茂利風」である以上、その利風が現れた時点で利風=九尾の狐であることは確信に近かったのではないでしょうか? なので、利風が目の前に現れたとしてもいったんは普段通りに接して彼を見定めよう、という覚悟が再会時にあった。

 

ただ、もちろん本人としてはそんなこと信じたくない、という迷いもあり……「あれは九尾の妖狐だな」と断言する利風を見てほぼほぼ確信。なので「……さすがだ」は気づいたというより確信を得てショックを受けた状態。そのあとラストのダメ押しとして「及ばずながらな」。ちなみにここでパイがしくじったのは「自分は九尾の狐に喰われた」と晴明に伝えるために当該の記憶を食わせなかった、利風の策だと思います。

 

利風が狐に喰われていると理解したあと、近頼から「待てというに」と引き止められるほど早足になっているのは、とにかくその場にいたくなかったんだと思いましたね。そのぐらい心が乱れていた。とはいえ事前の心算ができていたからこそ、その場ではさして取り乱すことなく、涙も自身の屋敷に帰るまで止められたとも受け取れますね。かなしい……。

 

③賢さと相反する自己認識の甘さ。なぜ「泣いたのか、僕は」なのか?

安倍晴明のしんどいポイントとしては、「身の回りのものは大体おもしろがれるのに、その世界から自分自身が抜け落ちている」ところなんですが、そのアンバランスさには「賢い / 能力が高過ぎるゆえ、情緒の発達が頭に追いついてない」って印象を受けたかな。年齢は渦雅>晴明に感じるので、そうすると20代前半ぐらい? 

 

「泣いたのか僕が」が序盤・ラストと二回繰り返されるのが印象的だったのですが、「自分が泣くほど感情が乱れている」ことにも気づかないなら、怒りも喜びも自分では認識できんだろうよ……。故にラスト「自分の心が食われても、周りの喜怒哀楽を眺められたらそれで大丈夫」なんて言ってしまうわけなんですが、このラスト、東京のときはひたすらしんどく感じていたものの大阪では不思議と辛さが軽減されたんですよね。

 

一回目の「泣いたのか僕が」は式神に指摘されるまで気づかないが、二回目の「泣いたのか僕が」は自分で自分が泣いたことに気付くんですよね。また、流れ星を見てその意味を読む、というのもオープニングとエンディング、繰り返されている場面なんですが、エンディングの流星は利風からの「印」であったと思っています。晴明と利風には恐らく、幼い頃から培ってきたお互いだけにわかる符牒が色々とあって、ラストの星から読み取れるものも、利風からの何かしらのエールだったのではないでしょうか? それを見て涙する=本人が気づいていないだけで、感情自体はどこかに残っているのでは。

 

また、周囲の人々の頼もしさも大阪公演では段違いになり、これだけあったかい人たちに囲まれていれば晴明は大丈夫だ。みんなが晴明の心ごと守ってくれる。と確信できたのが大きかったです。

 

④パイフーシェンとの対比構造。なぜ晴明はパイを「利風」と呼び続けたか?

ここは考察というか、私が狐晴明で強烈に好きな部分なのですが……

「自分の周囲の平穏のために戦っている」安倍晴明が、最初で最後の「自分のための戦いをする」というのが、狐晴明九尾狩という物語だと私は捉えています。

 

回想シーンから見る限り、晴明自体は「前に出たい・出世したい・活躍したい」という意思はなく、どちらかというと利風を立て、自分はサポートに回りたいと思っている人間です。それは利風との友情関係故にというより、本人の気質的に大きく目立って活躍するのは似合わない、と自分を俯瞰しているんでしょう。本人のビジョンや性格も相まって、政治的な立ち回り、円滑な人間関係の構築自体は利風のほうがうまかったのではないでしょうか? なので、晴明としては利風に道を譲ったというのは友に配慮したのではなく、それこそが晴明の思う理想の都に近づく最良手だったのでしょう。

 

ところが利風がいなくなり、自分が全てを引っ張らなくてはならなくなった。どころか利風は食われ、その策に対抗できるのは「自分ひとり」であった。これまでは利風と一緒に知恵を持ち寄って解決したことを、その利風相手に自分一人でやらなければならないとなると、これはかなりのプレッシャーです。

 

それでも晴明は戦わなければならなかった。都のためでもなく、利風と自分のために。晴明にとって利風を知恵比べによって倒せるのは自分だけ、という自負もあったでしょうし、利風が自分を信じて託してくれたことに、応えないわけがいかなかった。

 

対峙して即座に「あれは利風じゃない」と、目の前に現れた賀茂利風を否定した晴明が、劇中でパイを「利風」と呼び続けたのはなぜか。意地だと思います。自分が戦っているのはパイではなく利風。もっといえば、自分が倒すのはパイではなく利風。晴明のなかで利風はパイに負けていないんです。利風と晴明は回想にあったように二人で動いて二人で都を守ってきた。周りを駒としか思っていないパイには理解できないでしょうが、晴明と利風にとって戦いとは1:1じゃないんです。なので、利風の託した通り晴明がパイに打ち勝つことができれば、晴明と利風は負けていない。「利風と晴明の知恵比べ」であれば、利風が負けた相手はパイではなく晴明になる。利風を負かさないために、晴明は「自分が利風を倒す」ことを選んだんです。そこには「利風を倒すのは安倍晴明だ」という意地があったはず。

 

とはいえ、晴明はずっと大きな不安と戦っていたと思います。

利風の知略を読み切って上回れるのか、というのと同時に、本当に自分は利風を理解できているのか? と。ツーカーのような二人でも所詮は他人であり、完璧に考えを通じさせることなんてできやしない。まして、会っていない三年の間に変わっている恐れだってある。本当に自分は利風の考えを読み切れているか? それどころか、今本当に自分は利風の望んだ通りに動いているのか?

 

飄々としていたように見える晴明がラスト、涙ながら利風に「これでいいか?」と問うのは、ずっと迷い続けていた感情が利風を前に発露してしまったのだと思います。事は既に終わっています。今から利風の命が戻ることはありません。それでもそう問うてしまうほど、内心ではずーっと不安に思いながら、(こと知略においては)ひとりで戦っていたのが晴明なんです。最後の最後までそれを見せないのがずるいよね……ニクいよね。

 

なお、この「これでいいか?」は回想シーンの利風の「これでいいか?」と対になっています(BGMが同一であり、流れるタイミングを考慮しても恐らく妄想じゃないはず)。前者の「これでいいか?」は晴明の意に沿って妖を生かしたもので、後者の「これでいいか?」は利風の命もろとも事を終わらせるためのものという対比が、また辛い……。

 

特に大阪公演終盤では「私の願ったとおりだ」のあと、利風が手を広げて晴明の一太刀を待つ様子もあり、そうでもしなければ晴明は止めをさせなかったのではないか? と思うほど、揺れているように見えました。超越的に見える彼が本当は一人の青年に過ぎなかった、とあらわされるこのシーンで、いよいよ安倍晴明という人物に打ち抜かれました。美しいけれども人間味に溢れていて大好きなシーンです。

 

いやでもやっぱラストは切ないね。月影先生にアルプスの大地で利風と晴明を救ってもらえんもんか? なあ……

 

■パイ・フーシェ

晴明が好みだ…晴明もっと見たい…の東京から、パイフーシェンをもっと見たいから終わらないでくれ〜〜!!で泣いた大阪へ。私が狐晴明を好きなのは、まちがいなくパイフーシェンが好き過ぎる敵キャラだったのが決め手。

 

だってこいつあんまりにもオモロすぎませんか?

自分が四宮かぐやだと思って白銀(晴明)と天才たちの銅銭頭脳戦やってたのに、最後の最後で「お前は四宮かぐやじゃねーから!」って言われるんですよ!!!?? 自分を!!四宮かぐやだと!!思っていたのに!!?? 実際は一切相手にされていなかった!!?? 令和に最高の場外乱闘マン見せられてものすごい笑顔になっちゃった。

 

しかもランちゃんという脳味噌空っぽの狐一匹口説くのに小道具用意してノリノリで演技してるんだからもう本当におもしろい。酒持ってなんか喋りはじめた時点で「え?? 天魔王の口説き始まった??」って思ったけど、やってることがバカすぎて、1幕終わって1発目の感想が「なんかクソバカの口説き…なかった…?」になっちゃったよ。

 

向井さん、風で拝見したときは、風髑髏自体の造り的に難しい立ち位置を強いられてしまい、き、きつかっただろな…と思っていたので、こういう形でめちゃくちゃに輝く役を見れたことが嬉しい。心なしか、向井さんも手応えを感じてより舞台を楽しんでくださったように見えました。

 

初日観たときは晴明の仕上がりに比べるとやや弱く押し負けてしまっているかな…と思ったのですが、大阪…大阪が本当にすごくて、なんで大阪が映像に残らないの!? と常に憤る羽目になった。大阪のパイ本当にすごかったんですよ!?

 

1幕終わりの「では、後程」なんて、大阪後半では幕が降りきる前に拍手はじまっちゃうんですけど、わかる!わかるよ…! わたしもなんなら大阪後半は、この時点でスタオベしたいぐらいだった。それぐらいパイフーシェンがカッコ良くてわくわくした。向井さんのパイの後半の爆発力は凄まじくって、晴明とパイの持つ熱が相互に作用しあって高まるのを感じられて、欲を言えばもっともっと見ていたかったです。あと一週間公演期間があれば、よりすごいことになっていたに違いない。悔しい〜!

 

とはいえ初日時点でも私、パイフーシェン大好きだったんだ……。

風のとき「むかいりの顔ちっちゃすぎてどこにあるのかわかりません」と言っていたのが、狐晴明で「むかいりの顔に対してそのほか面積を広げることにより、さらにむかいりの顔がどこにあるのかわからない」が起きるの愉快すぎる。向井さんのスン…としたインテリ顔から「ババア〜!」が出てきたり、大阪後期公演では将監食べたあと「オエーッ!」と汚い嘔吐きを見せていたのも最高だった。ご本人も絶対楽しかったでしょう。

 

あと、どうしても風のときアクション面に課題があるなぁ…とは感じてしまったので、アクションが重要じゃない役だったの良かったですね。向井理が動くのではない、向井理自体を動かせばいいんだ! 弩級の発明。超正解。

 

いや〜……どういう発想があったら「むかいりにでっかい尻尾9本つけて空に打ち上げよう」って思うんですか!? この混沌陰鬱とした令和にぶちあがったオモシロむかいりという希望。愛しちゃうよ新感線&オサムムカイ。

 

絶対次のご出演も中島かずき先生のあて書きで見たい!!!と心から思います。二度目のご出演を引き受けてくださって本当によかった……。

 

以下、キャラに対する所感や個人的な考察。妄想多めな個人解釈なのでテキトーに読んでください。

 

①パイフーシェンの「我執」とは?

実態パイフーシェンがどういう人間でどういうルーツなのか、という点は意外と本編で語られていないのですが、とりあえずタオと付き合っていたなら確実に顔が良いんだろうな。これは絶対真実。私を信じて。

 

パイは自分さえよければどうでもいいを地で行く自分勝手マンではあるものの、狐霊であるということ自体には誇りを持っているようですね。元宝院への「ババア!」も、晴明を嫌うがあまり狐の妖を悪く言っていたのを見て、特にこいつは許さん……と恨んでたんでしょう。人間を食って神になってやろうと思ったきっかけに対しては、迫害を受けたくないというよりは「人間如きに狐というかこの俺が支配されるなんて許せない」というプライド由来に感じます。妖 VS 人間なんて考えたことない。俺 VS 人間。スケールでかすぎパイフーシェンやっぱり愉快。

 

そういうところを晴明に見抜かれていたのか、晴明も一回も説得とかしないのがいいですよね。あいつに何言っても無駄やと思われてるんだろうな……全面的に晴明に舐められてるパイ、本当にカワイイ。でも同情の余地もないので死ぬこと自体はスッキリパイフーシェン。悪役としてサイコーだ……。

 

②どこまでが利風の策だったか?

基本的にはすべて利風の策、もしくは利風の記憶や晴明の意図的な情報提供によって導かれた策だと思います。

 

ただ、ランちゃんを引き入れたのはパイフーシェン自身。というか、元々タオとランを逃した時点で「タオは無理だろうけどランは引き入れられそう・引き入れたら戦力になると考えていたんでしょう。

 

基本的に利風から食べているのは「記憶」「陰陽師としての術」「知恵」とのことなので、元々パイ自体はそこまで頭よくないのかもね。利風から操られていた、というのは直接意思の操作を受けたというより、利風を食べた時点で利風の知恵や記憶をパイが使いこなすのは難しい、食べた利風自体に振り回され・操られてしまったようなもの、ということなのかも。それだとより可哀想だけど…より面白いな……。

 

③なぜ晴明の感情を食べたか?

これに対しては理由が二つあると思っています。

 

・晴明の「感情」によって計算を狂わされたから

利風の記憶は食えても、その記憶から二人の間の絆を読むことはできなかったパイ。絆の源となるのは当然感情。さらに、妖や貴族も巻き込んで一丸となって立ち向かえたのも、ひとえに仲間たちの「感情」があってこそ。「利害」だけではない感情による結びつきは、パイにとっては理解も予測もできないものだった。なので、その発端である晴明の感情を食らうことで晴明に復讐をした。

 

・晴明と利風、二人への報復になるから

食った利風には晴明を通して負かされたパイにとって、利風への報復手段が何もないので、「晴明の感情を食うこと」によって晴明だけではなく、利風への報復ともした。利風からは記憶・知恵・術を食べたので、あと足りないものは感情だけ。その感情に足元を掬われたということで、晴明から奪ってやることにした。この一件を通してパイは人の肉体を殺してもその想いは他人のなかで滅びないことを知ったので、であれば他人のなかの想いごと消してしまえ、と……。

 

こんな感じじゃないかな?

でも晴明は(おそらく)利風を想って涙を流すことができたし、晴明のまわりには晴明を想い、助けてくれるひとたちがいる。結局なんにも理解できていないまま消え、誰にも想われない(本人だって誰かに想われたいなんて発想がない)パイは本当に存在が一貫していましたね。まるで悲哀のない悪役だった。

 

しかし、こんなおもしろい男がここで終わりはあまりにもったいない。五右衛門ロックで居酒屋の店員になって通りすがってほしい。

 

パイフーシェン持ってきてくれ、お通しにもりかの油揚げをよぉ!!

 

■賀茂利風

弊劇団オタクタイムラインでは「開始10分で死ぬ遮那王牛若(偽義経冥界歌)」という即死RTAがおもしろがられている昨今、「開始前から死んでる賀茂利風」という反則スレスレメインキャラクターが殴り込みをかけてくる、そう狐晴明ならね。

 

令和の新感線は即死RTAがアツい! 

京兼調部(蛮幽鬼)だって5分ぐらい生きとったがな!!

 

そんなわけで、私のなかではジューダスの間はまだ生きているがプルルルで死ぬ、と決めている賀茂利風。一幕だけ出てくるんだね〜と言われたら「二幕も出てる!一分ぐらい!!」と必死で擁護してる。それぐらい私は賀茂利風に執着しているし、できればこのプロフィール帳を埋めてほしいと思っている。利風教えてくれ、焼肉の締めはビビンバと冷麺どっち?(私はビビンバだと思うね)

 

出番はちょっと控えめ(…)ですけど、情報量が詰まっていたので、出番の割に彼を理解しているつもりになっています。ちょっとボケっとしたところもありそうだし一見常識人なんだが絶対いい性格してるし、なんなら晴明より思い切り良いところがあったと思いますよ。そもそも「強い狐の妖怪に喰われて自分が思考をあやつって大陸わたって友に倒させよう」なんて策は心臓に毛がしこたま生えてないと無理だからね……。

 

利風の作戦って、晴明だけではなく晴明の願う「人も妖も混じりあう世」があることを前提とした策なんですよ。だから利風は晴明の願う世を肯定していたし、晴明ならそれを為せるとも信じていた。あの地獄のような宮中で、晴明のように外部のつながりもない利風にとって、晴明の存在はほんとうに大切なものであったことでしょう。本当は、戻ってこれたら晴明の望んでいたような都を晴明と一緒に作っていくつもりだったんじゃないかな。

 

だから、晴明に自分は及ばないという自覚があっても、晴明に嫉妬をしたことはなかったんじゃないかな。むしろ超越的な力を持つ晴明がひとりになったり迫害を受けたりしないよう、きちんと上に立つ存在になりたいと思っていたんじゃなかろうか。晴明と年齢はそう変わらない(1〜2年上ぐらい?)ように感じますが、その割によくできた人物だよなぁ。

 

彼の晴明への信頼はものすごい質量なんですが、それを「デカい」「重い」というのは私はちょっと違うかなと思っていて、「深い」がいちばん近いなぁという印象。

 

パイの呪縛から解かれて晴明を目の当たりにし、すべてを理解した瞬間のやさしい笑み、そのまま止めを受けるまでの「来い」と言わんばかりの穏やかな表情。パイの呪いに対して、利風のそれは「お前ならこれから先もひとりで大丈夫だよ」という祝福(陰陽師風にいうと祓え/浄めなのか)に感じました。

 

「すべて私が願ったとおりだ」という言葉は、たった一言なのに愛情に満ち溢れている。「晴明が利風を殺す」という晴明にとって至極辛い選択までも、利風が願い導いたこととして冥界まで持っていくつもりなんですよ、彼は。飄々と事態を切り抜けて戦い抜いてきた晴明が本人さえ知らないところで傷つきながら頑張り続けていたことを、利風は瞬時に理解できるんです。もしかするとこの選択をした時点でそうなることを想像していたのかもしれませんが。

 

千秋楽含め、たまに「すべて私が願ったとおりだよ」で涙声になることもあったようだけど、すべてを為したうえでボロボロになり、悲しみを背負った晴明に「つらいことをさせてしまった」という兄心だと解釈しています。利風は自分の運命については嘆いていない。自分があの場にいてよかった、おかげでパイを封じられたとさえ思っているはず。

 

こう書くと苦しいことばかりの人に思える……実態すごく苦しく悲しい人なんですが、一方で利風と晴明の対決自体には、私はいいなぁと憧れちゃうところがちょこっとあるんですよね。「自分の考えを絶対理解してくれる友と、最後に思いきりぶつかりあう」そんなことをできる相手に出会えることって、あります? ないよ。どこかで利風は晴明との戦いを楽しんでいたんじゃないかな、とさえ思っちゃいます。楽しめる余裕、あった気がするよ。だって相手は晴明で、ぶつかりあうことはこれまで一度もなかったけれども、ぶつかれば絶対に自分を打ち倒してくれるという信頼があったから。

 

なので悲哀はあれど、どこか死に際に晴れやかさもある人でした。

 

あ〜あ!晴明と利風がいろんな妖や渦雅・悪兵太たちと交わって、二人で事件を解決したり妖を退治したりするスピンオフが見たかったな。

 

利風の出番は少ないように見えるかもしれないがパイの考えた「策」は全部利風そのものなので、「策」が出てる時間も全部利風の出演時間とカウントしてください。

ほら増えた!! 利風の出番増えたよ!!

 

■タオ・フーリン

あの吉岡里帆にこんなにかわいげのない女をやらせる!!!??? 

わたしは新感線に出てくるかわいげない女、大好きです!

 

素直でまっすぐ、場合によっては猪突猛進であり、でも弟に嘘を吐いちゃうような狡さも持ち合わせている。狐なのに、なんなら作中で一番人間臭いと感じるかもしれないキャラメイク。ひたすらに素直と見せかけて、後半に入ると安倍晴明の相方らしく、性格悪めの立ち回りもしてしまうのが良かった。どんどん晴明の相方らしくなっていったので、ラストも「タオがそばにいてくれるなら晴明も大丈夫でしょう」と信頼できるようになりました。

 

ぶっちゃけオタクは「中村倫也吉岡里帆が並んだらちょっとLOVE的なものが巻き起こるのでは」と二幕途中まで期待しまくってたんですけど、晴明とタオの関係性があまりに色気なさすぎて、なんか途中「タオさんタイが曲がってましてよ」みたいなやつもあるし、あっこれ今回はLOVEとかそういうんじゃないなと気づいちゃったな。

 

したらば戯曲後書きによれば「晴明がホームズならタオはワトソン」ということで、吉岡里帆を起用しながらもヒロインらしい立ち回りは一切なし・がなって地団駄を踏みまくる女になってるのは完全予想外でしたね。パイフーシェンがタオと付き合っていた理由が「俺にたてつくなんておもしれー女……」だったとしか思えんわこんなの。

 

でも顔はめっちゃかわいい。本当にかわいい。オペラで見ると可愛過ぎて「うわっ…こんなにカワイイ顔この世にあるんだ…」って引いちゃうぐらい可愛かった。大阪楽のカテコではぴょーんと狐のように跳ねてポーズを決めてくれたんですが、これがカワイイのなんの……吉岡さんいいなぁ〜、次もこういうおてんばな役柄で出てきてほしい。

 

ちなみにタオが置かれている「異国でひとり、別の種族にために戦い抜いた」という状況って、まんま利風とおんなじなんですよね。それもあって晴明はより強くタオに思い入れた部分があったかと。パイに食われちゃった同種属の仲間たちと比べれば、パイがやばいと事前に理解できていたタオは賢くはないものの勘の鋭い子だったんでしょう。その勘が弟にもちょっとは引き継がれていればなぁ……。

 

しかし「付き合ってたからわかるの!」はびびった。近年いのうえ歌舞伎でここまですごいセリフ聞いたの久しぶりだよ。そりゃランちゃんだって「勝手なこと言うな!」って言うわ。「付き合っていたからわかる」その言葉……伊達土門くんやラギくんが聞いたらどう思うでしょうか?(どうもこうも……)

 

■ラン・フーリン

いのうえさんは早乙女友貴をなんちゃいだと思っている!!!!!!!??????

今回は開演15分以内に死ななかったね、それどころか最後まで生き延びたね。「生」の実績解除おめでとうございます!

 

バカで厄介だが憎めない(なぜならランちゃんがおバカなほどパイフーシェンがおもろいから)、アクション的な意味も含めアクセントとして抜群に効いていたな〜。初出演の蒼の乱から見守ってきた勢からすると、演技面もかなり上達したね……と親目線になっちゃったので、やっぱいのうえさんが年齢を誤認しちゃってるのも致し方なし。私も責められませんでした。

 

あまりにも短絡思考・言われたことそのまんま受け取り過ぎなんだけど、これ姉の教育にも多分問題ありますよ……姉なのか、親なのか? 姉にも姉で問題があるので、一概にランを責められないところがあるんですが、とはいえ「ぼくは最初から晴明の味方でした!」みたいな顔してラストシーンに混じってるのはおもしろ光景すぎ。

フーリン一族に「誇り」はあっても「倫理」とか「教育」ないんか?

 

最終公演あたりは殺陣がどう考えても人殺しのそれになっており、こりゃ〜今日の泰山府君祭、「ナシ」じゃないっすか? と腕組みしていましたが、なんか戻ってこれたね、よかったね。晴明もさすがにランに対してはちょっと微妙だけどまあ蘇らせるか…というテンションで蘇らせてるのがおもしろい。ランちゃん、勉強しよう!

 

ランフーリンは考察することがなにもないですね。頭からっぽカラカラすぎる。おかげさまで、ランちゃん出てるシーンは難しいことな〜んにも考えずに耳垂れた! カワイイ〜!で見れたので、存在自体が愉快でよかったです。

でもランちゃん、勉強しよう! あつ森で!

 

■尖渦雅

大阪で確変起きてたもう一人。演技レベルがというかそもそもプランが結構変わったような印象受けます。大阪狐晴明の印象ががらっと変わったのも、確実にこの渦雅が起点でした。東京公演では生真面目ゆえ損をするタイプに見えたのが、大阪では「真面目だけどそれ以上におバカ。バカ正直」っていうふうに見えて、そしたらすっとこのキャラクターを受け取れるようになった。

 

大阪から私は晴明の「今のあなたならわかるんじゃないですか? 渦雅さん」で泣いちゃうようになったんですけど、晴明というより渦雅が変化したのが伝わったからなんですよね。「検非違使として都を守る」という意思を持っていったものの、その都の実像をうまく描けておらず、迷いの多かった渦雅。その渦雅が騒動を経て妖やならずものとも交わり絆を築き、彼のなかでの「都」の範囲が広がっただけではなく、より確かな実像となった。

 

そしてこの渦雅の心情変化が汲み取れるようになったことによって、観客としての狐晴明への没入感が一気に増した。狐晴明は主人公の晴明、相方のタオへ感情移入しづらいので、観客視点の人物が不在なところがちょっと不親切だったんですよ。が、渦雅の変化で観客視点の置き場が決まった。渦雅が理解したタイミングで、観客も「晴明の望んでいる世界」を理解できるようになったんです。それがすごくよかった……。彼を通して狐晴明の世界がクリアに伝わった。派手ではないものの確実に狐晴明においてのキーパーソンでした。

 

■悪兵太

野暮を承知で申すと、夢三郎を経たりゅせりょにこの役当てる発想、人の心ないですよ! 前情報入れないで現地行ったので出てきた瞬間心の中で爆笑しちゃった。

 

悪兵太はなぁ〜1景をまるっと削られちゃったのが本当に痛いキャラクターだなぁと思うんですが、ここ最近のいのうえ歌舞伎に流れている(と勝手に感じている)「生きてこそ」文脈を体現していたのがよかった。これまたまっすぐなバカなんだけど、ならずものの身分であるゆえに、渦雅よりも現実を知っていてある意味冷静なところがある。なので、仲間に諭されて「どんな形でも生きる」と決めることができる。これもなぁ……前回夢三郎やってた人間にこの対比、意図してなさそうだけどえぐいな……と思っちゃいますね。

 

悪兵太は「平民代表」なので、渦雅の考えていた都に悪兵太たちが入っていないのと同時に、悪兵太の考える都には貴族や検非違使は入っていなかった。だから「妖」を身内だと思うほうが先なんですよね。それぐらい貴族を遠い存在だと感じている。実は物語開始時点での自分の身内以外への偏見は、渦雅よりも強かったんじゃないかと思う。でも、銅山での協力を経て「貴族」も人間なんだと思えて……彼のなかで「どいつもこいつも生きているんだ」と確信を持てるというプロセスがあったからこそ、さまざまな方向からの「理解と受容」を感じ取れました。

 

最終決戦ではすっかり打ち解けて、悪兵太が渦雅を信頼する様子が見てとれたのもすっごく良かった。こういう縁を晴明がつないでいるから、晴明の心が晴明のなかから消えても、まるきり消えるわけじゃないなと希望を持てました。

 

芦屋道満

はい、作中最強リアコ枠!

千葉さん出てくるたび千葉さんは最高にかっこいいんですけど、今回特に最強じゃなかったですか? うさんくさいのにやる気出したらカッコいいおじさんを千葉さんにやらせてハマらんわけがない。

 

この人は見たまんまなので、あるがままを受け取って「かっこいい」「好き」「勘弁して」と言うほかなかったですね。モフモフ好きというギャップ、肩に乗っているハコちゃんのかわいさ、藻屑前との夫婦感。ぜ〜んぶたまらんかった。

 

何気に式神として勝手に肖像権を使用されまくってるせいで、本当の道満が出てる時間は意外と短いという。結構な働きを劇中ではしてくれてますが、結局のところ彼も晴明と同じく、いろんなものが混じり合った都を守るためならいくらでも戦えちゃう人なんだろうなぁ。今後のランちゃんへの教育、あまりにも道満頼み(なんとかなると思いますか?)(思わん……)。

 

■元宝院

個人的にとても好きな人だった。なんだろうこの塩梅、賢いとはいえないけど愚かでもない。優しいとは言えないけど卑劣でもない。絶妙なバランスの人物だった。

 

終盤で元宝院が晴明のことを「おぬしのことはよくわからない」と評するのが好きで、わかりあえなくたって受け入れることはできる、ということを元宝院が表現するのが、狐晴明にとって必要なんですよね。「わからないものも受け入れる」それこそが共生だから。

 

とにかく、わたしが頑張らないと! と気を張っているのに精一杯で、他のことを考えられない人なんだろうなぁと感じた。この硬質でありながら愛嬌がある雰囲気はやっぱり高田さんにしか出せないですね……。

 

■藤原近頼

晴明を利用しようとしていたが、それごと見抜かれており、パイには食べられて「まずい」と言われてしまう始末。つくづくな役どころで笑っちゃうな。

こらパイフーシェン! 食べたならご馳走様ぐらい言わんかい!

 

「絶対これ裏切るでしょ」からの「きたきたきたきた」はもはやお約束! お約束なのに、声が変わった瞬間「やったーー!!!!!」と心のなかのオタクがガッツポーズしちゃうんだ。粟根さんの腹黒ボイスは実家のような安心感があるので、もはや聞こえてくると来ましたねえと後方彼氏ヅラ腕組みしちゃうんよ。

 

■橘師々 / 又蔵将監

師々様、近年ナンバーワンの癒し系右近さんでテンションあがっちゃった。ハケるとき結構ファンサしてくれるの嬉しくて、師々様推しちゃお♪ って思ったよね。一幕から。

 

二幕に入ってからはまさかの浄化・完全萌えキャラ化。将監に見下されてマイクオフで文句言ってたのが可愛過ぎました。師々は将監ほど根が腐っていたとは思わないので、「臭い」と言われていたのは彼の気質じゃなくて、溜まっていた澱の度合いだったのかな?

 

対する将監はもうね、外道なだけならともかく、死んだあとに元宝院に存在忘れられてたのでめっちゃウケちゃいましたよね。師々様は許されたのに……将監は木こりになったらダメでしたか!? アドリブ多過ぎたせいですか!? 

 

それにしても将監がなぜ地味に成り上がれてたのか、それが一番の謎かもしれんな。

 

■白金/牛蔵

村木さんとカナコさんをシンメにするとこんなにもカワイイ!!!!!!

これはなかなか得難い発見だったんですけど、ほんとうにほんとうにかわいい。私は特に劇団員では山本カナコさん推しなんですが、カナコさんの横に村木さんがいると、カナコさんのちまっと感がより強調され、対する村木さんの安定感あるフォルム(笑)も際立ちと、いいところしかなかった…!!

 

日によってはタオと晴明初対面のシーンで、晴明が式神から出されたお茶をまずそうに飲んでいたりしたんですけど、あの式神たちなら晴明にテキトーに淹れたお茶飲ませそうで、納得感ありすぎましたね。ふてぶてしくも甲斐甲斐しい、というのがまた晴明の人柄を反映しているのかな、と思うとちょっぴり切なささえある愛しさの二人でした。

 

■妖たち

終演後に「少女漫画テイスト」みたいな表現を見かけたりもしたですけど、少女漫画テイストの演目は股間に蛇口ついてる人出てこんのよ。

 

こうやってわけわからんコスプレ妖怪出てくる瞬間がいちばん「新感線見にきた」って気がする。コスプレとか突然出てくる足湯とか、なくても成立するものがぼんぼん出てくる馬鹿馬鹿しさこそ、新感線の楽しさなんだよね。

 

藻屑前のキャラデザがすんごく好き! あの尻尾のもふもふふわふわ感……作中でいちばん触りたくなりました。「あたしが救われたのは晴明さん」といいつつ、道満のことを大事に思ってそうなツンデレ具合も可愛い!

 

じゃばらはこっそり民に紛れて銭のすり替えをしてくれてたみたいだけど、他の妖怪たちがどう紛れ込んだのかは素直に気になる。油ましましにすり替えられた銅銭とかすごいぬるぬるしてそう。

 

 

そんなこんなで東京公演から考えていたことを書き連ねていたら、なかなかのボリュームになってしまいました。それだけ見所が多かったということで……。

 

「晴明御一行」および「パイフーシェンと愉快な中ボスランちゃん」を見ているのがとても楽しくって、賑やかさのなかに切なさと暖かさもあって、後半になればなるほど勢いが増していく、不思議な味わいながら大好きないのうえ歌舞伎でした。

 

欲を言えば情勢を鑑みてカットされてしまったシーンも踏まえて、ブラッシュアップのうえ再演してほしいですね。私自体はあまり再演を求めるタイプではないんですが、狐晴明は実際上演されることで、制作側が想定していた形とはかなり違う方角に立ち上がった箇所も多いはず。生の肉体とリアルタイムの応酬による物語のうねりは演劇の醍醐味で、特にこの演目にはその立ち現れが多かったと感じます。故の惜しさもあったのですが、核に力強さのある演目なので、元の台本を機軸に実際の上演であらわれたものを織り込んで整理できたら、より化けると思うんだよなぁ。せめてライビュが大阪でもあれば……。

 

イーオシバイ様におかれましては何卒お願いします……大阪の映像を、記録用でもかまわないので、残してほしいです……ダイジェストでもよいので……。「大阪ほんとうにすごかったんですよおばけ」になっちゃうよ!

 

そんな願いはありつつも、2021年どうしても寂しさを味わうことが多かったなか、年の終わり側に思いっきり楽しい体験をさせてもらえたことに、本当に感謝しています。ありがとう新感線、客演のみなさん、スタッフのみなさん!

 

またディレビュ見たらなんか書くかも!

でもとりあえずはここでおしまい。狐晴明九尾狩がだいすきだー!!!!!幸せな2021年をありがとう!

まだプロメアを観ていないあなたへ

この記事を開いてくださった方には、
 
・映画「プロメア」を観たのだが、「プロメア」という文字を見ると無条件でクリックしてしまうため、この記事を開いた人
・映画「プロメア」をまだ観ていない人
 
の二種類がいると思います。
今回はそのどちらにも充てて、文章を書こうと思います。
 
まず、まだ「プロメア」を観ていない人へ。
この記事の結論は「プロメアを観てくれ」となります。
言葉にして語る必要性も、本当は感じていない。
プロメアを観てほしいんだ。
 
それでも、せっかくこうして記事を書くことにしたのだから、
「プロメアを観てくれ」を語る。
 
「プロメアを観てくれ」を語る!!!
 
プロメアは「伊達と酔狂」を映画の形にしたブツだ。
映画館に着席し、予告編を見終え、映画が開始した瞬間、
私たちはただ制作者たちの酔狂に押し流されるほかない。
 
気の狂いそうな超作画アクション
ぶっ飛ぶロボ・名乗るヒーロー・押し寄せるメカ
ハイテンションに次ぐハイテンション
 
なんかやべぇの見にきちゃったな……と思う。
 
でもここで冷静になってはいけない。
「いま、わたしは二時間のジェットコースターに乗ったのだ」
覚悟を決めよう。覚悟といっても仰々しいものじゃない。ただ、ハンズアップの準備さえすればいい。
ここから二時間弱、延々とハンズアップが始まるのだから。
 
私はプロメアを初めて鑑賞した際、後半ずっと半笑いになっていた。
あまりのハイカロリー展開に「本当か?」という気持ちが高まり、
なんというのかな、ジェットコースターがてっぺんに昇りきった瞬間の、あの、
「あぁ……やばい……w」みたいな半笑いが延々と続いて、映画館を出てくるときにはもうフラフラになり「中島かずき…」しか言えなくなっていた。
 
ただし、ここで一つ述べておきたい。
「あまりにもハイテンションが続くと疲れちゃうんじゃ」という不安を抱いた方がいらっしゃると思う。
 
大丈夫。
プロメアの素晴らしい点のひとつは、静謐のシーンが非常に美しくできているところ。
騒がしく忙しいプロメアの時間にふと訪れる静寂は、ドラマティックで美しい。
 
その美しさに浸っていると……また次の起伏をのぼっている。
嘘!!!さっきまで見てたドラマティックなシーンは!!!????
 
そんなめちゃくちゃな感情のアップダウンに任せながら、プロメアという作品は二時間弱を走り抜ける。
 
プロメアは製作者の「俺はこれが好き!」がてんこ盛りに乗せられた作品だ。乗せられたどころか、乗りすぎて盆から落ちているものだってたくさんある。それでもプロメアは盆へ肉を果物を愉快なビームを盛り続ける。だって好きなんだもん。仕方ないじゃないか。そんな声を私はスクリーンから聴き続けて、それだけでもうアツい気持ちになった。
 
力強すぎる「俺はこれが好きなんだ!」を、こんなに豪華な仕様で観れることって本当に奇跡だ。
 
何度も何度もジェットコースターで急転直下を味わいながら、噛み締めた。
好きで仕方ない!と思いながら作品を作り続けられる大人たちがいる。
好きなんだ!その気持ちを優先して心血を注いだっていい。
それだけで、なんだかちょっと、いや、すごく救われる。
 
自分の好き、をあけっぴろげに晒すのって、すごく勇気がいる。
自分の内臓をぶちまけるような、息苦しさとか恥ずかしさとかそんなものが、大人になるとどんどん積み重なる。
プロメアは私たちの目の前で、思いっきり内臓をぶちまけてくれた。
その愛と勇気を目撃してほしい。
 
最後に、これからプロメアを観る人へ、上映前の心構えをお伝えします
 
・偏差値は下げておいたほうがいい(5ぐらいにしておくのがオススメ!)
グレンラガンキルラキルは見なくてまったく問題ない
・興奮しすぎて帰り道で朦朧としたら困るのでパンフレットは事前に買っておく
 
何より…
でっかい映画館で見たほうがいいので今すぐ見たほうがいい!!!!!!!!!!
今すぐ、この週末にでも駆けつけて見に行ってほしい。この映画はおっきなスクリーンであればあるほど楽しい映画だ。
 
いつまでも、あると思うな親と上映館。
というわけで、今から「プロメア」で検索してチケットを取るようにお願いします。
 
そして、「もうプロメアを観た人」へ……
 
プロメア、最高だったよな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
追いプロメアで会おう!!!!!!!!!!!!!!
 
 

怪文章:偽義経冥界歌で主人公は「自分のために」を手にする

 
ネタバレしかありません!!!!未観劇でネタバレ避けたい方はすぐ閉じてください!!!!
 
 
義経冥界歌(戯曲版:偽義経冥界に歌う)見ました?
私は石川県でやっと観劇成功し、同行のワカドクロを1回DVDで見ただけの友人(ついてきてくれてありがとね)に「私の教祖中島かずきが最高なんですけど」と猛り狂う姿を見せたんですけど、みなさん気持ちはおんなじですよね?
 
義経冥界歌は最高という以外に、特に感想いらない疑惑……ありますよね?
雑なオタクなので同行オタクにゾンビランドサガみたいな感じだと思う」とのたまい、事実幕間に入った瞬間(マジでゾンビランドサガの可能性が出てきたな)と慄いたんですけど、あんなん(あんなん)ではちゃめちゃなのになんかいい感じに着地する中島かずき×いのうえひでのりのケレンがガンガンに効いた良い作品だったと思う。身内での争いに規模が縮小されてしまうので、ここまできたらもっとぶっ飛んでよかったんじゃないかとも思う部分はあるんだけど、観劇後残る、そこはかとない虚しさ、好きなんですよね……。この手のかずき作品、思ったより喉越しスッキリじゃんにごまかされて、口のなかに残る砂利に帰り道で気づくので、地道に後引く。いいよね……中島かずき……。
 
いやそれより、この物語が中島かずきから「主人公」に贈られた「主人公讃歌」であることに感動したので私はこの文章を書いています。まっとうな作品の感想が読みたい方は正統な論文兵士に頼っていただけると嬉しいです。あっこの記事は怪文章です。あと一回しか観てないので色々ガバだけどキマッてしまったんだな〜と思って読んでね!
 
 
主人公!主人公が好き!
 
 
私は中島かずき脚本の主人公が大好きなんですけど、マジでアンハッピーでいつも泣きを見てる。特にここんとこは捨之介とかいう生き地獄とか飛頭蛮とかいう別になにも悪くなかった人とか、ラギ、ラギはもう……そんなかわいそうな目に合わなくたってよくない……!?みたいな……。
 
とにかく、おポンチじゃない中島かずき脚本の場合、主人公がそのもっともおっきな歯車として転がされ転がされ惨めなほどにもてあそばれる傾向にある。物語のどんでん返しが多ければ大きいほど、奔流にもてあそばれてめちゃくちゃに痛めつけられていくのが主人公なんですよ。もともと主人公ってそういうもんじゃん?ってご意見もあると思うんですけど、こと中島かずき脚本のヒーローはその傾向が強いので私はいつも概念の捨之介を膝に乗せて抱きしめて泣いています。(2017年はもっともホットな膝のせ主人公として花捨をお膝にのせて抱きしめました)
 
主人公、いつでも誰かのためばっかりに動いて自分をないがしろにする。
主人公、光であれと魂に刻まれたかのように性善を信じてしまう。
主人公、自分を省みろと言われても理解できない。ゆえに正義が独善の裏返しにさえなってしまう。
 
辛い……とても辛いですよ……。主人公が何をしたの?こんなに頑張ってるのに、一生懸命やってるのに、なかなか「爽やかなヒーロー」や「頑張っている男」以上になれない男。誰かに許されるよりも、誰かを許すことを役目として背負っている男たち。
 
反動で朧の森を見ないとやってらんねえよな!!!なあ主人公オタクのみんな!!!!
 
なので主人公オタクのわたしは偽義経にめちゃくちゃ、めちゃくちゃ救われてしまって、もう……感無量ですよ……中島かずき先生…………本当にありがとうございました…………開始五秒で「くろぴとじろぴに変なことするんでしょう!!いつもみたいに!!」って疑ってすみませんでした……次郎は絶対ひどいめにあって死ぬと思ってた……。
 
義経、主人公が報われたかというとあんまりそういうわけではないんですけど、
「主人公が自分自身のために動くことを肯定される」物語だったので、それだけで私は本当に嬉しい。
 
たとえば髑髏城の捨之介は「自身を肯定できなくなった自分」を「他者に肯定される」ことによって進むことができる。それは祝福のようであって、一方で「彼自身が彼を肯定できない」欠落が最後まで埋まらなかった、というあらわれでもある。多くの主人公は自己を「他者に肯定」されて、自分自身を自分のために使うことはなく物語を終えていく。
 
義経も終盤まではずっとそうだった。久郎は透明でからっぽでよく転がる「ガラス玉」で、他者の思惑に踊らされて、大きな力に流されて、それを自分自身の意思と取り違えて動いていく。がらんどうの主人公として描かれつづけていた。
 
だが、彼は「自身はがらんどうである」と気づいたうえで、自分自身に「自己」というリソースを傾けられなかった自分を目撃したうえで、他者の力を借りつつ自己との向き合いを果たす。ここで重要なのは、久郎が果たす「自己の肯定」が他者である静歌・次郎の力を借りつつではあるものの、静歌・次郎によってもたらされたものではない、という点だ。作中でも語られる通り静歌・次郎が久郎に与えるのは「他者目線からの肯定」ではなく、久郎という人間が自己と向き合う機会の創出であり、この時点で他者による主人公像の肯定とはまるで違う流れへ物語が進んでいくことがわかる。
 
死者として復活した久郎は、これまで久郎を利用してきた人間たちを逆に「利用」し返し、ガラス玉を「鏡」と取って自身を見つめ直すことになっていく。この流れは圧巻で、このあたりで私は高濃度の中島かずき最高エネルギーを脳に直接流し込まれ泡を吹きそうになっていた。これは主人公から「世界」への反撃だ。「世界」を反映するために主人公をガラス玉にし続ける物語という大きな流れに対して、主人公という人間が身ひとつで行う反撃。久郎は主人公を脱却することなく、あくまで主人公の領域に従って反撃を為し、他者を見ることで着々と自己形成を行なっていく。
 
戦いは久郎の優勢に運ぶが「他者を斬れば自分も斬られる」という矛盾に久郎は痛めつけられていく。正直なところ、物語を畳むために必要な要素、と感じてしまう部分もあるんですけど、これはすごく重要な流れなんですよね。「他者のなかに自己を見出した」のであれば、不都合な部分のみ影響を受けずにいられる、というのは虫の良すぎる話で、そういった都合の良い部分だけ恩恵を受けがちな主人公が逃げずに「反撃に対する反撃」も痛みとして受け入れてくれたのはとても良かった。
 
最終的な牛若〜秀衡戦も、一連と捉えるよりか「VS牛若」「VS秀衡たち先祖」の二戦と見るべきかなと。
 
鏡に鏡を映せば、さらにその内部にも鏡が映る。お互いを鏡にしあう、というのはそういった永遠入れ子構造の深い依存を受け入れることにもつながる。物語序盤で生死によって関係性を反転させた牛若と久郎は、久郎という人間にとっての、等身大の鏡。久郎というひとりの人間として挑まなければならない一戦。
 
そのうえで、彼自体の世界を取り巻き、その象徴ともなりうる父・先祖たちは久郎という人間が自己と世界を図るための大きな鏡になっている。一人の人間として立ち位置を確立した久郎が「主人公」という役割として挑むべき相手が父たち。「牛若」を倒さなければこの父たちには勝てない。ラストバトルになっても良かった、というより青春譚・偽物vs本物の構造を強調するのであればラストバトルにふさわしかった「牛若戦」がラストにこないのは、そういうことなんだと私は思ってます。
 
「対牛若戦」と「対秀衡〜先祖戦」は彼が自分の内側での自己獲得→自分の外側(世界)での自己獲得を確立するための、ちがった二枚の鏡。そのうえで、それらを鏡にして自己を獲得する久郎は、主人公補正に左右されず痛みを受けなくてはならない。
 
物語はいよいよ本物のラスト、昇天する久郎へと移っていく。
この締め方が本当にすばらしく私としては感無量が極まりすぎて指10本すべての先っちょが熱くなってしまいました。
 
「私だけじゃいやだ。お前も歌え」
 
そう!!!!!!!!そうなんだよ!!!!!!!
そうなんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
 
ずっとずっとずっとずっと、主人公たちに言いたかった言葉だった。
お前が、お前を愛せよ。お前がお前を見て、お前がお前自身を肯定して、誰かにしてあげて、してもらうんじゃなくて、自分のために生きてくれよ。自分のために自分がやりたいことに躍起になってくれよ。その言葉がたった5文字の「お前も歌え」で代弁された瞬間の感動ときたら!!!
 
そして、そんな静歌の言葉を受けての返しが
 
「ああ、そうだな(中略)誰でもない俺でも、歌っている間は俺の歌だ」
 
であった瞬間、もう……何を申し上げていいか……ありがとうございます…本当に…。
そうだよ、歌っている間はお前の歌なんだ。お前の人生は誰が何を言おうとお前がなんと言おうと、お前自身の人生で、お前のための人生なんだよ。そんな長年の「数多の主人公たち」への思いが、叶えられた気持ちになった。
 
誰でもなくたっていいんだよ。主人公じゃない、役割のないお前でいいんだよ…いいんだ……。
 
主人公が、自分ひとりのために歌うことを世界に許され、何より自分自身に許されたこの結末。偽義経冥界歌は「主人公讃歌」の物語としてとてつもなく美しかった。素晴らしい物語だった。
 
その主人公讃歌が壮大なオペラでも、新感線が愛するメタルでもなく、淡々と紡がれる三人きりの素朴な歌であったことが「偽義経冥界歌」のこのうえもない魅力だと思う。主人公が荷を下ろし、ひとりの人間に着地をする。派手でもなんでもない等身大の結末によって、偽義経冥界歌は「壮大な大河ロマン」ではなく「奥華玄久郎という青年の青春成長譚」として結実する。
 
これだけ動乱づくしの本編のなか、ここまで主人公にフォーカスしきって、主人公のための物語を生み出してくれた中島かずき御代、いのうえひでのり御代、そのほかキャストの皆様に対しては心の底より畏怖、敬意、感謝の思いしかない。次わたしが偽義経を観れるのは東京公演というだいぶ先の話になるので、いまこの時に感じた感謝と感動をここに著しておきたかった。たとえそれが、勝手な救われ全開の怪文章だとしても。
 
ありがとう。偽義経冥界歌。
2月ってあと何日寝たら2月ですか?
 

【総括】髑髏城の七人月~下弦の月~とても好きでしたの感想

やばい極髑髏はじまる!!!!!!!!!!!!!!!!!
上弦の卒論(まだ卒業しないよ)こっちです!!!!!!!!!!!
 
あーーーーーーーーー上弦が終わってしまったけど下弦も終わってしまったし、月髑髏…月髑髏終わってしまいましたね……ほんとに何を楽しみに生きていけばいいのかわからないよ…って言いながら、今宵からは極髑髏!!極髑髏サイコー!!!と踊り狂っているのが見えているオタクです。こんばんは。
 
わたしは上弦をメインに月髑髏通ったオタクだったのですが、下弦もよかったなぁ…。
下弦の良さについては、これまでのブログでもわりと口うるさく?語ってきたと思うので、いまになって語ろうとすると「…良かったなあ〜…」とボケ老人みたいな感想しか出てこないんですよね。よ…良かったなぁ〜……。
私はボケ老人なので下弦髑髏の記憶半分ぐらいが捨之介の太ももです。
 
下弦は本当に出だしから安定感があって、初参加のメンツが多いながらもハラハラすることなく、どっしり構えて見ていることができました。上弦髑髏、豊洲の荒野にすのこ一枚引いて「はいここがお前の宿。寝てな」って言われてる…って思いながら見てたけど、下弦髑髏は「お嬢様こちらが豊洲の誇るロイヤルドクロホテルでございます」と執事(CV神谷浩史)(宮野真守じゃないのかよ)が一礼してきたのでどーいうことだよって思った。
絶対下弦のほうがステアラの椅子ふかふかだったからね。私の尻がそう言ってる。
 
上弦の記事のほうで「上弦始まる前めちゃくちゃ不安だった」って書いてたけど、下弦は「私はよく存じ上げない役者さん多いけど、まあ大丈夫なんだろうな」と思ってたので、想定通りの大丈夫さ(?)でよかったです。もうなんなら宮野捨CMスポットを見た時点でハ〜もう下弦の月、問題ありません。って思ったもんね。
 
とはいえわたしはいわゆる2.5と呼ばれるタイプの芝居ってほぼ見たことなくって、役者さん含めそっちの文化にはめちゃくちゃ疎いんですが、髑髏城ってもともとマンガ…芝居の形を取ったマンガなので…2.5畑のキャストさんとはかなり相性の良い演目だったんじゃないかな。あとの人たちはともかく、捨之介ってあんなにアニメ的になるんだなってびっくりしたもん。
 
いや鳥髑髏の捨は「爆殺にんじゃ!すてのすけ!」って感じだったけど……掲載誌はコロコロコミックだったので……下弦もうちょっと大人っぽいというか、宮野捨:藤田和日郎 鈴木天魔:由貴香織里 廣瀬蘭:高屋奈月だったので、うわ〜ほぼ花とゆめじゃんって思って見てましたね。ほぼ花とゆめじゃん〜〜(からくり宮野サーカスから目を背けるオタク)
 
なので、見てる時の感覚はやっぱり、今までの髑髏城とはちがってたかな。
私はワカドクロから髑髏城のオタクをやっていて、髑髏城という作品にとてもオタク的な執着をしていて、人物をキャラクタ的に捉えているんですよね。でも、これまでの髑髏城は(もちろんその要素は他のお芝居に比べると強いのだけど)役者さんがキャラとして演じているかというと、そうでもなかったと思う。思い込みかもしれないけれども、下弦は全体的にキャラに対して畏敬とも呼べる尊重ぶりを見せる人が多かった気がします。
 
それは、正直を言うと私には時折怖くって、でも下弦が持つ魅力の根底もそこにあったのだろうなと感じました。
役者の、キャラへの畏敬と、そのなかで編み出した解釈の提示。誤解を恐れずにいうとものすごくオタク文化的なアプローチで、ただ髑髏城という演目にはそのアプローチもきちんと機能する。最初から作り込んできている人が多いな、と感じたのはその所以もあるのかな。
 
でもあんまり、2.5髑髏とは言いたくないかな。
やっぱり髑髏城の七人月下弦の月下弦の月というオリジナルの作品であって(や、まあ言ってしまえば今の髑髏城なんてぜんぶ初演もしくは1997のセルフ二次創作みたいなものでさえあるのだけど…)、下弦の月のなかに再現すべき「二次元」「キャラクタ」はいなかったと思います。役者さんがどのような気持ちでやっていたか、私には理解することはできないけど……それでも、私に見えたあの人たちはキャラクタではなくて、その時舞台のうえで生きている人間だったので。再現でもなんでもなく、その時舞台で生きている彼らこそがオリジナルだったので。だから、2.5というとちょっと、ピンとこないかな。嫌だというわけでもなくピンとこない。
 
とはいえ、2.5出身の役者さんだからできたこともいっぱいあって、そういう意味ではけっこうクセの強い公演だったと感じています。ものすごく見やすかったけど、振り返ってみるとあれはあれで異質だったな、と思う。喉越し良く、見たあともスッキリとした気持ちで豊洲を出られるんですけど、家に帰る頃にはたと「いや…なんか引っかかるな…」となる。そんな塩梅。
 
感想とはちょっと別の話なんですけど「髑髏城こんなにもオタク向けなのにオタクには敷居高くて勧めづらい」と泣いていたオタクとしては、下弦というオタクに勧めやすい髑髏が出てきてくれたの助かった。見て見て!!オタク!!これオタクが好きなやつなんだよ!!って銅鑼を鳴らしまくったので、その甲斐あって見てくれたひとが少しでもいたら…いい…な……。
いや、私がきっかけでなくても全然良いんですけど、髑髏城を見ておもしろいと感じる感性の持ち主がひとりでも多く豊洲で回ってくれていたならそれだけでうれしいんだ。
 
上弦に通ったけど、下弦も通えるなら通いたかった。
あの立地、あの腰ぶっ殺し劇場で2日連続ぐるぐるはさすがにしんどくって、下弦行きたかった…とべそべそしてたんだよね。ダブルキャスト制、めちゃくちゃ楽しかったけどどっちの月も見上げたかった私には優しくなかった。見上げさせろ!!どっちも!!!
 
ダブルキャスト髑髏城って、告知されたときは「なんてこったい…」と頭を抱えてたんですけど、終わってみればそのダブルキャスト制度が楽しかった……。いや、せっかくだからアテ書が見たかったよって気持ちはあるんですけど、一方で役者が能動的に役を咀嚼して、強めのアプローチをかける楽しさが月髑髏にはあった。
 
私は、役というのは演者さんをきれいに見せるお洋服であると思っていて。その演者さんを輝かせるために仕立てられた、とても綺麗なお洋服によるファッションショーを見ているっていう、ごめんね意味わかんないね、ごめんね。私も何言ってるかちょっとわかんなかったわこれ。
 
つまり、これまでは劇団やかずきさん、いのうえさんが仕立てて役者さんに渡してきていた「お洋服」を、月髑髏においては役者たちが自分で手を入れる場面も多かったと思うんですね。だから、布をどうお洋服にするか、っていうアプローチ部分で差が出ていたんじゃないかな。
鈴木天がユザワヤで綺麗な糸とボタンを買い付けてミシンでカタカタ縫ってる間に、早乙女天が布ビリビリにやぶいて「服!!!!!!!!!!」って言ってきてる感じなんですよね。そうだね服だね。
 
というわけで、下弦とても楽しかったです!ほんっとうにありがとうございましたーーー!
そして願わくば、下弦を楽しんでくださった新しい髑髏党員のみなさまには、他の髑髏城も見ていただきたいな。すごくおもしろいんだわ!!ほんと!!!
 
だから公式ゲキシネ告知早くしてくれぇ…
メタマク回し終えたあととかは勘弁してえ…
 
■捨之介
わたしの下弦髑髏が好き!の半分ぐらい、宮野捨が好き!だったと思います。
初回見たとき、休憩で興奮しすぎて「やばい」「すてのすけ」「ウオ〜〜」「宮野真守のオタク大丈夫?こんなヤバいものを見せられて生きてる?」「わたしが宮野真守のオタクだったらこの幕間のあいだで、二時間後指定で救急車呼んでる」って口走って、二幕観終わったあと豊洲のクソ寒荒野を「みやのまもるーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!」と叫びながら駆けたよ。
 
宮野さん、私は普通にイケメンじゃんって思うんだけど、でもまぁ確かに…ここまでの捨たちと比べると小顔爽やかイケメンという感じではなくて……そして私はそこに興奮してしまって……。もともと捨之介という役が古田新太先輩から出てきた役柄なので(古田新太先輩は最強にかっこよくて最強に色気があるウルトラ捨之介だよ)、シュッとした小顔の月9イケメンが本道かというと、そういうわけではないんですよね。あっこれ小栗捨大好きオタクの言ってることなので、顔小さいイケメン捨への批判とかじゃないです。わたし、全ての捨之介をそれぞれのベクトル愛する捨之介オタクなので……す…すてのすけ…好き…なんだなぁ…。
 
だから、ぱっと見のビジュアルではなくって行動や人物としての「かっこよさ」「色気」で人間性を演出してくれる宮野捨、すごくねえ…良かったんですよ。捨之介のことが大好きなんだけど、捨之介ってちょっと完璧すぎるっていうか。私が天魔王だとしてあのイケメンたちに説教されると「うるせーお前みたいな花より男子取ってきた小顔イケメンとはこちとら生きてきた世界が違うんだよ」って思うから。あ〜小栗捨最高大好きみんな絶対花髑髏ゲキシネ見てね。(いいぞいいぞ花髑髏は良いぞ)
 
そんなこんなで「イケメン!小顔!スタイル抜群モデル体系!」からはちょっと離れたところにいて、でもとんでもなく格好いいっていう、ある意味本来あった姿に立ち戻った宮野捨。すごく良かったなぁ。福士捨がめちゃくちゃ好きなことは事実なんですけど、やっぱり捨之介は宮野さんぐらいの年代の人がやるとよくハマると思います。とても良いタイミングで捨之介に鉢合わせた(?)と思うな。宮野さん。

単純にお芝居がうまくて、パワーが強かったのもある。当たり前だけど声が本当によく通るし、声の演技だけでなにやってるか、何思ってるのかだいたい感じとれるし。殺陣だけすこし心配してたんですけど、問題なくこなせていたので非の打ち所がなかった。見てて不安に思う箇所がなくって。何より太ももの出し方がうますぎて……いや太ももの出し方がうまいかどうかは重要事項ですほんとうに!

強いていうなら、慣れてきた後期はすこしクドい、と感じてしまう箇所もあったかな。いや、多分初見の方にはあれぐらい説明したほうが親切で楽しいんだろうけど、宮野捨を追うだけで下弦が終わってしまうんですよね笑 後半の、小技や熟れた雰囲気を出せなくなってからの宮野捨がものすごく好みだったので、私はもう少し削いでくれたほうが好みだったのかもしれない。

といえでも、そんなの「強いていうなら」なことなんですよね。
いや~私は宮野さんのオタクではないし、ほんとさらっとしたことしかわからないけど、宮野捨、捨之介オタクとしてめちゃくちゃよかった。
よく笑いよく驚きよく怒る。表情豊かで、まばゆい太陽のようだった。それゆえに背負うものの寂しさも濃い陰に見えて、い、愛しい……となってしまった。私はすぐに「青空になって捨之介を抱きしめたい」という欲望に駆られるんですけど、もれなく宮野捨も抱きしめたい!!銀河の果てまで!!!って思ってしまいましたね。

たとえば花や鳥の捨って、己のなかに深い暗闇を持ち合わせていて、それを隠すように、己自身にさえ気づかれないように隠そうと頑張っていたように思えたのですが、宮野捨はどちらかというと風捨サイド。笑顔や陽の面は本物で、ちゃんと彼自身から出てきた表情だと思う(陽キャとしてのタイプは違うけど、福士捨もこっちだと思うし風捨もこっち)。このタイプの捨は、己のなかの闇に気づいていても「まぁ大したことじゃないな」と流してしまえるタイプなんですよね。

だからこそ、一度絶望に立ち会ってしまうと途方もなくへこむし、落ちていってしまうんですよね。月捨は他の捨に比べると、これまで見てきたものからあまり地獄を受け取っていなそう、と考えていたんですけど。それ以上に宮野捨は情動が豊かで共感性が高いから、他人の痛みを己の痛みとして引き取ってしまいすぎる……。なんならこの人花鳥風見たら天魔王がかわいそうで泣いちゃうんじゃないですかね…鳥とか…見れないんじゃないの!?舞台に駆け上がって鳥捨止めちゃうんじゃないの!?

上弦の感想でも書いたけど、宮野捨&早乙女天だったら、宮野捨は霧丸を振り切ってでも天魔と心中してくれちゃった気がするので、お前…下弦でよかったな…!!!と心から思っています。だって宮野捨、絶対天魔の心が弱ければ弱いほど「助けてやらなきゃなんねえ…!」って意気込んじゃったでしょ。そんな宮野捨に送りたい。花天魔(同上の余地なしアッパークソ野郎天魔王)(人が死ぬのってたのしーっ!殿もころしちゃおっ!蘭丸も殺しちゃおっ!捨も殺しちゃおーーっ!)(みんな、ゲキシネ花髑髏見てね!)。

たとえば風捨も、人のためなら敵だろうと涙を流してくれる心優しいやつだったんですけど、みやの捨みたいに天魔が死ぬの追いかけて泣いてくれたりはしなさそう、ってイメージなんですよね。あの捨はドライなとこめちゃくちゃドライなイメージがある。誰かのために号泣したあと「ハーよし元気出していきましょう!エーザイ!」って立ち会がってのしのし二足歩行しそうなとこがある。

でも、宮野捨はあんまり泣きはしないゆえに、一回泣くともうだめだあ…ってぐらい崩れ落ちて、ひとりでに闇の中へ落ちていってしまうんですよね。蘭の痛みにも天魔王の痛みにも共鳴して、最後の誇り・矜持を貫いて死んでいった二人の寂しさ、痛みを自分が請け負おうとしている。そんなことやろうとしてたら、そりゃー潰れるよ!!って……思いますよ!!
潰れるよ!!潰れちゃうよ捨!!なんでそんなもの背負おうとしちゃうかな!?

捨之介っていうのは、特別なにか秀でている男というわけではないんです
腕が天魔や蘭ほど立つわけでもないし、たぶん頭がいいわけでもない。蘭みたいな寵愛を受けてきたわけではないだろうし、ただ人に愛され、人を愛すのがうまいという男なんですよね。華やかな主人公のように見えるけど、その実、泥臭いところにいるのが捨之介という男。

そんな彼が、天才だけれども人と関わることを絶ち、ひとりになろうとしていた霧丸を救い、霧丸に救われるのは本当にアツかった……。捨と霧は正反対の存在なんです。「お前にはわからない」と天蘭みたいな異才の者たちに突き放された捨之介だけど、最後に同じような異才の霧丸を掬い上げた。わかりあえない髑髏城という物語だからこそ、この救いは大きい。

月髑髏の捨之介は、名前を捨てない捨之介なんですよ。
月だけ見ていらっしゃる方に説明させていただくと、もともと捨之介というのは、最後に己の名前を捨てて、新しい自分にふさわしい名前を探す旅に出る、と宣言して去っていくんですね。ところが月はそのくだりがなくて、最後まで捨之介は「捨之介」のまま退場していく。それは捨之介が、「捨之介」である自分を否定しない。肯定して生きていく、と決めたからにほかならないと思っています。

特に宮野捨は、最終的な己への肯定が強いと思っていて。肯定といっても全肯定にはどうしたってならないんだけれども……自分を信じるというより、信じたのは霧丸かな。これは中島かずき文脈に則って言うと「俺が信じるお前を信じろ」かもしれない。捨之介を否定するということは、捨之介が救った霧丸を否定したことになるから。だから霧丸を否定しないためにも、そして天と蘭という存在を忘れないためにも、捨之介は捨之介として生きていくんだよなぁ。
 
そう思うと…なんかあの…お前…
お前めっちゃ不器用だな!!!!!!!!!!!大丈夫かそんなんで!!!!
でも人間だから、不器用だよな。不器用だろうとなんだろうと、みんなのために頑張って、自分ボロボロになって、最後は生きるために頑張った捨之介が私は本当に愛しいんですよ。宮野捨は我武者羅で血のたぎり熱い捨だったので、なおさら愛しくなってしまった。
 
スーパーヒーローなんかじゃない。
捨之介もまた、弱くてちっぽけな人間なんですよ。
それでも、いつでも太陽のように笑っていてくれた宮野捨がほんとうに好きだったな。太ももがまぶしかったしな(大事なんだよ!!!!!)
 
是非次は五右衛門ロックでシャルルのお友達枠として明るく楽しいヤベー奴をやってください。五右衛門に「めちゃくちゃなのしかいない」と言われてるとこ見たすぎでしょ。
 
 
■天魔王
 
上弦がわりと表情筋動かない(インスタで絶対同じ角度からの写真しかあげない)オンナだったのに対して、こっちの天魔王くんわりと男性ホルモンだし表情動きすぎてディズニー映画かよ君はヴィランズさんのとこの新しいお仲間かって感じなので、もう顔見てるだけでオモロかった……。六欲天ダンスだけで一度に摂取していい天魔王の表情全部網羅した気分になる。
設定資料集の表情一覧だけめちゃくちゃ潤っていく男・下弦天魔王。
 
いやー実は最後の方でこの人のことわからなくなってました。下弦は、蘭へのわからなさ強すぎてこの人に「わからん」と感じている隙があんまりなかったんだけど、実はひそかに「わからん…」と思っていた。私の月髑髏わからん案件三銃士だった(下弦蘭・上弦捨・下弦天 三人合わせてわからん三銃士)。
 
というのも、後期公演でわりと変わってきてたんですよね。最初見ていた天魔王と後期に見ていた天魔王では、だいぶ違っていた。上弦も下弦も、一番変わってきていたのは天魔王なんじゃないかな、と思う。端的に言うと、後半のほうがキマってたし後半のほうがカルシウム足りてなかった気がする……。
 
後半で投げキッスしはじめたのは普通に怖かった。天魔王ってやっぱ怖いよー!!!なに考えてんのかわかんないし!!何し始めるかわからないし!!!あの投げキッス、なんだったんだろうなーって考えてるけどよくわからないですね。
上弦天魔王のテーマ「愛」です。下弦天魔王のテーマ「大手企業でクーデター起こしてベンチャー企業始める」ですと思っていたんですけど、もしかして下弦天魔王のテーマも愛だったんですか…?株式会社DOKULOVE党……?
 
は〜信長何チンタラ甘ったるいことやってんねん蘭なんかにかまけて…俺が変わって天下統一してやる!!エッ!?なに!?蘭丸に生きよと伝えろ!?そういうのは俺に残業代を払ってから言え💢💢💢今日から俺が天魔だクソ💢💢💢
 
……が下弦天魔だと思ってるし、それは最後まで変わらなかったんですけど、彼も彼なりに信長を愛していたことは思っていて。上弦みたいなあからさまなお慕いではないと思うけど、それでも尊敬していたり感謝していたりはあったんだろうなって……ゆえに晩年ノッブが解釈違いすぎたという。やっぱり、近しい像としては鳥天だったのかなぁ。多分鳥の殿より下弦の殿のほうがさらに蘭丸にデレデレだっただろうしな……かわいそうに……。
 
うんまぁ最終的には、大企業なんだから評価制度はちゃんとしようねっていう。直属上司ベースでしか評価しないのは偏るからだめだよねって。
蘭丸!!!かわいいから100点!!!人のやつ!!まあ頑張ってんじゃん?40点ぐらいな。みたいな評価されてたら天魔のほうだって気が狂ってしまうよな。
髑髏城の七人月下弦の月パワハラは良くないということを教えてくれる。全国の上司のみなさん気をつけていきましょう。
 
信長とはそういうこと(どういうこと)だとして、月はどっちもなんですけど、天と捨の対立感強いんですよね。蘭兵衛はぶっちゃけ関係ないし、あいつはいつでも場外乱闘なんですよね。めちゃくちゃ目を惹く場外乱闘。それが無界屋蘭兵衛。
やっぱり髑髏城の七人は捨之介VS天魔王の物語なんですよ。特に下弦の天魔王は、捨之介という強烈な光を恐れているように見えた。あんまり軽視はしてないと思うな。あいつはヤバいとわかっているからこそ、気に留めないように振る舞っていた気がする。
 
これ私がいのうえひでのり(演出)の人でなしポイントだと勝手に思い込んでるんですけど。捨之介の退場が勾配を駆け上がっていくのに対して、天魔王の退場が下に落ちていくの、本当に悪趣味でコラコラ~ッて思うし、蘭は地べたにはいつくばってそのまま息絶えていくからなおのことクソーッ!!いのうえひでのりーーーっ!!!神か!!!??と暴れだしてしまう。ほんとすぐ暴れるな私は。
 
あれだけ「天」に「天魔王」に執着した天魔王ですけど、最後は捨之介に「天魔王として死ぬが良い」と天魔王を押し付けて死んでいってしまうんですよね。最後死んで行くときの彼は、天魔王ではなくて人の男なんですよ。その意味ってなんなんだろ…って考えていくと、天魔王によってもいろいろ種類はあると思っていて…下弦の彼においては「天魔王」という存在をこの世で生かすための、最後の呪いであったかのように感じたな。
 
そして己が執着した「天魔王」を押し付けようと思えたのは、そこに捨之介への信頼があったからだと思うんです。こいつなら、天魔王を背負って生きていくだろうという信頼。ナカヨピのダチではなかったけど、愛すべき宿敵とでも呼べる存在だったんじゃないかなぁ。下弦の捨天は。
実際、捨之介は天魔王を殺した「捨之介」のまま生きていくことを選ぶわけだし、ある意味思惑通りなわけで。月髑髏は天魔王勝利の髑髏城だと思うんですよね。
 
天が蘭の目を斬ったのは、もう二度と彼に「天」を仰がせないためのような気がした。お前には天は仰がせない、天は私のものだ、という威圧・報復に感じたな。だからこそ、捨之介には「天魔王」を押し付けてしまえるところに、天と捨の特別さを垣間見たような気がする。
 
個人的には月で一番振り幅大きかったのがこの天魔王だと思っていて、上弦も下弦もまったく違ったアプローチでおもしろかったです。どちらも役者さんとしての強みがわかりやすいところも良かった。早乙女天魔は体の芝居。鈴木天魔は声の芝居と表情の芝居。重きを置いている箇所がそれぞれ違っていたので、その要所こそが「天魔王としての恐ろしさ」につながっていてすごく面白かったです。
 
最後まで結局、私には鈴木さんがどういう役者さんだったのかはよくわからなかったんだけど、ここまで「どういう役者かわからない」と感じたまま最後に辿りついたのが、憑依型の役者さんと評されている所以なのかなと思いました。
 
私の最後の鈴木さんメモリー、敦盛2011踊ってたころだったので……
とんだ転生しちゃったねお蘭〜〜;;でも許すよっ☆って脳内の村井信長が叫んでたんですけど……
(上弦も蘭丸転生天魔王なんだよなぁ…)
 
なにはともあれ、あのステ数まったく調子を落とさず駆け抜けたのはさすがとしか言いようがない。本当にお疲れ様でした!
 
■蘭兵衛
 
ど、どう処理していいのかわかんねえーー……。
 
「ひろせ蘭わかるでしょ」って言われているのを見ながらも、それでもわかんない、わかんないんだもん!わかんないよーーっ!!!!!と枕を涙で濡らしてきた蘭兵衛さんのオタク、最後までひろせ蘭わからないまま下弦が終わってしまって、それが一番の悔いだったんですよね。
わかりたかったんだよな。他の方の解釈を拝見させていただいて「ほ〜…」と思っても、実際見ると私の中には落ちてこなくって、私は自分で納得しないことにはあんまり納得できないタイプの人間なんだなぁというのを痛感したり。わりと苦しかったです。
 
最後に見た下弦で、途中まで「あ!!今回わかったかもしんない!!!」ってなったんですよね。
で、無界襲撃で「ダメだわかんない!!!!!!!!!!」となってステアラを出た……。
わかんなかった…またしても…。お前を…理解できなかった……。
 
下弦蘭のなにがわからないか、についてはだいぶ前のエントリでもうつらつら書き綴ったので、もう書く必要はないと思っていて。ので、ここからは私が下弦蘭についてわかんなかったなりにうだうだ考えた帰結をかければと思っています。前提として、私は廣瀬さんのブログはまだ読めてないです。ちょっと読みかけてアッだめだこれ読んだらたぶん理解できなかった自分がきつくて寝込むなって思ったので、ゲキシネタイミングぐらいで読むと思います…。
 
えと、下弦蘭って優しい子としてつくられてると思うんですけど。
私はやっぱり、彼が「優しい」「いい子」だとはどうしても思えない。それはそもそも、蘭兵衛という人間の行動が「優しい」「いい子」であったら為せないはずのものだから。蘭兵衛の劇中での行動はいつだって「自分のため」であって、彼は他人のためになんて生きられない作中でもっともエゴイスティックな人物だと私は捉えているからです。ので下弦に限らず、優しいいい子の蘭兵衛というのは髑髏城という物語に出てくるからには存在しないと思っている。
 
ただ、下弦蘭が「優しく在ろうと」「いい子で在ろうと」していたことは事実なので、そう在ろうとした心根自体が優しいものであった、というのはわかるな。捨之介もそうだけど、自身の欲求を抑えて守ろうと戦おうとしていた子は偉い。なので、天魔に唆されるまではほんとに守ろうとしていたのだろうし、天魔を殺そうとしていたのだろうと思う。彼自体は、歴代蘭のなかでも比較的穏やかな子だったんだとは思いますよ。
 
ところが天魔に唆されて、彼は「自分が無理をしていたこと」に気づいてしまったんじゃないかな、と思った。そのむかし、信長様に元にいたときは心からいい子でいられたのが、「優しく在ろうと」しなければ優しいままではいられなかった自分に気づいて、絶望してしまったのかなと思った。どうやったって昔には戻れない、昔の自分にもなれないし、心から優しい人間にはなれない、と。もしそうであるとしたら、その絶望は心根の優しい人間にしか持ち得ないものだと思うし、彼はすごく心のやわらかい子だったんだろうなと思う。
 
途中、無界襲撃で刀身に自身を映して紅を引くのなくなったけど(そのあと復活してたらごめんなさい…)、私はあれなくなったの良いなーと思ったんですよね。自分が守ろうとしていた女たちの血で紅を引いて悦楽を得るというのは、あまりにも「いい子」像からかけ離れているように感じたので。後半の大暴れぶりは悦楽というよりも逃避に見えたので。
 
のでやっぱり、私のなかで下弦蘭のテーマは「抑圧と開放」だな。
他者や環境、時勢ではなく自身に絶望して歪んでしまう人間が、絶望ゆえに箍を外してしまうとどうなってしまうのか、というのが下弦蘭である……という風に受け取りました。
 
……ってこんなこと書いてもさ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
多分役者さんご本人のブログ見たらぜんっぜん違う答えがのってるわけでしょ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?
笑ってくれよ唸りながらぜんぜん違う答えをこうだと思うんですけど…とのたまっている私のことを!!!!!!!!!!
 
あのブログ更新で「蘭の答え合わせされる」って経験がなかったらんべオタクは「よりによって理解できなかった下弦蘭で答え合わせ……わたし…期日までに宿題提出できなかった子じゃん…」と謎の凹み方をしていたんですが、そのあと上弦蘭のラジオつけたら髑髏城の質問に「刀落としても気にしない」「はあ〜落ちちゃった…お前ら見てねえよな?って感じでやります」「はい次」とベルトコンベアみたいな流し方してて、足して二で割ってくれよって思いました。
 
上下で天の振り幅がすごかったと書きましたが蘭もなかなか振り幅があっておもしろかったです。上弦蘭は人選ぶだろうなって感じるタイプの暴投ぶりで(でもお芝居自体は丁寧だったんですよ本当ですよ…)、下弦蘭はおそらく初見の方ほどよくわかる感じの、スタンダート蘭兵衛さん。上弦蘭が刀をバーンッと床に投げつけるのに対して、下弦蘭は刀をポーンッと上に放るのオモシロカッタ……ポイポイものを投げるんじゃないよお前たち…。
 
わかんないわかんないと言ったけど、下弦蘭がいやだったとかではなく、一幕とかは…もうね…微笑むたびにしんどくて…や…やめろ…そんな顔で笑うなマジで守りたくなってしまう……と震えたりしましたね。あんな風に笑われて、二幕であいつがあんなことになるなんて誰が思うよ……ああやってふわふわ笑って殿にン〜♡蘭丸♡かわいいでなぁおぬしは♡といいこいいこされて育ってきたのが下弦蘭。もう頼むからそこにいてほしかった……じっとしていてほしかった……。
 
黄泉の笛でふわっと跳躍するところがめちゃくちゃ好きだったな。笑った顔を見るたびに「二幕の所業を許してしまいそうになるからやめて」と胸を痛めたこともあった。「マジでわからない…今日も…今日もわからなかった…」と豊洲の夜道をトボトボ歩いたのも、だいたいこの蘭のせい。
 
ある意味情緒をめちゃくちゃにされましたが、ゲキシネで「理解」を得たうえで答え合わせできる日が来るといいな、と思っています。不出来な私宛に答えを教えてくださったみなさんには、本当に…おばかですみませんでした…という気持ち。お…おばかですみません……これから私は「月髑髏留年生です」という札を首から下げて生きていきます……。
 
■霧丸
 
沙霧⇒霧丸の変化に思う所ありすぎた私に「あ、なるほど。これなら霧丸でもいいな」とまず最初に思わせてくれたのが松岡霧丸でした。
ていうか顔が可愛すぎて「もうほぼ沙霧」と脳が判定していた
 
私は沙霧において好きだったところは、大人の理屈や武士の思惑だらけの髑髏城という物語のなかで、子どもじみた「生きていてほしい」「死んでほしくない」を通して捨之介を救い出すっていうところなんですが、その点の継承度合いにおいては松岡霧丸とても強かった……。めちゃくちゃひたむきで、めちゃくちゃ光だった……。
 
上弦の感想で「福士捨には平間霧丸じゃないとだめだった」と書いたのですが、下弦もそう。宮野捨には松岡霧丸じゃなかったらだめだった。宮野捨はぶっちゃけ福士捨より面倒くさいんですよ。己の抱えてるものとか、闇に対して「まあ取り立てて騒ぐことじゃないよ」って他の人を優先しちゃう男。お前に生きていてほしいんだよって言われても、それを心からすぐには信頼できない男。だからこそ、感情に素直でドストレートな松岡霧丸の「生きろ」が刺さったんだと思う。
 
下弦霧丸が強いか弱いかで言うと、私はけっこう弱いというか、なんなら沙霧・霧丸のなかでいちばん弱い子だとは思うんですよね。能力としても天才型で、建築!でっかいたてもの!たのしいーー!ってやってるうちに赤針斎になってしまったイメージ。世間にも疎くて、外部からのダメージにもあんまり耐性なさそう。でも、だからこそゴチャゴチャ余計なことは考えず、ストレートに「生きろ」と言えたんじゃないかな。
 
捨之介が死にたくたって関係ないんですよ。霧丸は捨之介に生きててほしいから。だから「俺が生きててほしいから生きろよ」をそのまま伝えられる霧丸は、本当に捨之介にとっての光だったなと思う。捨之介。霧丸を救ったけど、それによって自身が救われるから。捨と霧の相互補完加減がほんとうにすきで…上弦も下弦も、とっても良かった……。
 
でも「絶対霧丸は捨之介を離さないでくれよ」って思ってしまうので、「えっじゃあ霧丸結婚したらどうするの」「宮野捨置き場に困らない?」「でかいし場所取るし反応多いし」「わたしが霧丸の嫁だとして絶対宮野捨置いてあるうちに入籍したくない」というめちゃくちゃどうでもいい悩みが今も頭から離れない。
 
いやだ…霧丸結婚しないでくれ……。
ずっとあのかわいい笑顔で舞台をぴょんぴょん跳ね回り続けててくれ……(おじいさん月髑髏もう終わりましたよ)
 
 
■兵庫
あっもうホント ホント良かったですよね。良かった。マジで良かった。
 
最初のキャスト発表時、ありとあらゆるキャストに大なり小なりの「大丈夫なのか…」を感じたものの、一発で「ここは問題ないな!」と確信できたのが木村さんの兵庫だったんですよね。新感線経験者だし、まず初回でとんでもないことやらされてたし……。
 
なので兵庫絶対行けるでしょ!!とステアラにむかって「木村兵庫、行けてた!!」と言いながら帰ってくることになった。
初回から最後まで常に安定しつづけていて、ずーーーーっと完成してた。兵庫がしっかりしていると、格段に作品の見やすさがあがるので、下弦兵庫の「見やすさ」への貢献ぶりときたら凄まじいものだったと思います。
 
兵庫って、解釈もなにもなく見たまんまを受け取ればいいキャラなので、すごく見てて落ち着く(笑
彼は髑髏城において「名もなき人々」の代表格だと思います。霧丸は、ちょっと微妙なんですよね。言っても彼は天才だし、名のある一族の長だし。兵庫は農民の生まれで、めちゃくちゃ強いってわけでもなくて、なにか特別なことができるわけでもなくって……。そういう兵庫が天魔王たちに一矢報いるっていうの、すごくアツいし、髑髏城という物語において気持ちが良い瞬間のひとつですよね。
 
木村さんの兵庫は、私としては花鳥風月ナンバーワン兵庫でした。ホンットーにかっこよかった…!
 
 
■極楽
 
いやーー初日はギョッとした。え、うそ。え、ほんと?ほんとに!?ってなった。
年齢が上がったはずなのに、花鳥風月通して誰よりも少女の極楽に見えたから。
 
明るくて溌剌としていて、キュートで少女めいた極楽太夫。でも、その内側ではずっと色々なものを抱えてきていたんだと思う。きっと雑賀であることをやめなくてはならなくなった日からずっと、辛い思い苦しい思いを抱え続けて、でも「私がしっかりしないとだめなんだ」と己を奮い立たせて生きてきたら、その感情の発露をできないままになってしまった人。
 
むかし、鳥のライブビューイングに初見の方を連れて行ったときに「最後に極楽や兵庫も己の仮面を捨てて、本当の自分で去っていったのがよかった」って言われて、目からウロコだったんですよね。兵庫も極楽も少なからず自分に仮面をかけていた。それを外せたから、晴れやかに立ち去ることができたんだなって。
 
下弦極楽はものすごく脆い人だったと思う。
己が脆いからこそ、強くあろうとひたすらに頑張っていて、そういう面で蘭兵衛さんをほっとけなかったのかもしれない。蘭兵衛もまた、自分の思いに蓋したまま生きていかなきゃいけない人だったから。蘭兵衛を見送ってしまったのも「私みたいにはならないでほしい」っていう想いがあったのかもなぁ。結果として行き着く先は……だったけど。
 
常にまわりを考えて、まわりの気を落とさないように明るく振る舞っているけど、時折見える「この人は大人の女の人なんだな」と感じる瞬間がすごく愛しかった。「ゆっくり寝なさい。朝までしっかりね」の柔らかいトーンとか、聞いてるとたまらなかった。だから兵庫の気持ちめちゃくちゃわかる。こんな人見てしまったら、俺が守りたい!と思っちゃうよなー思っちゃう。
 
どの髑髏においても基本的に「蘭兵衛コラコラコラ〜〜ッ!!!極楽に謝って!!!」と叫びたくなってしまうけど、下弦は特に「こんなにお前を思ってくれた太夫をーーーーーーーッ!!!!!!!!」と蘭兵衛の肩を揺さぶりたくなってしまう。でも、下弦の極楽に関しては二幕であれだけやらかした蘭兵衛のことすら、許してくれそうなところがるんですよね。えーん…許さなくていいのに…そんな男許さなくていいのに…それでも許してしまいそうなのが、下弦極楽なんだ。
 
本編が辛い分、最後のカテコできらびやかな極楽衣装をまとって微笑んでいる姿にとても救われました。
実は作中でめちゃくちゃ辛い思いをさせられてる筆頭のヒトなので、今度こそ幸せになってほしい。頼むぞ兵庫。守ってやってくれ。まあ今日からは極楽が銃を片手にみんなバンバンバンバンッ!!!!なんですけど。
 
■贋鉄斎
上弦の贋鉄斎はキュートでプリキュア妖精さんみたいなんですけど、下弦は普通に気持ち悪いしうるさいし害悪だしおっいつも通りの贋鉄斎だな!って感じで、下弦の贋鉄斎ルームに戻ってくると自宅のような安心感でしたね。やっぱり贋鉄斎は害悪じゃなくっちゃな!
 
いまこの感想を書くためになんか贋鉄斎のいいところ思い出さないとって思うんですけど、うるさかった怖かった害悪だったみたいな気持ちがホワンホワンホワン…と頭の上に浮かんでは消えていくので、書くことがない……これぞ幽玄……。
普通に良くて好きだったんですけど、害悪インパクト強くて……虚空にキスしてるのが怖くて怖い…って思っちゃって…下弦キス魔多くない!?下弦はKiss髑髏だよ!!
 
贋鉄斎と上弦捨は気の良いおじちゃんと子犬みたいだったんですけど、下弦は多分むかし漫才コンビを組んでいたことがある仲だと思います。一年ぐらいコンビを組んだんですけど、どちらも「俺がボケ」と主張した結果、方向性の違いによって解散したんですよね。
 
書くことないからってこんなことを書いてて何になるんだろう……
もうええわ!ありがとうございました〜(パチパチパチ…
 
■狸穴
正直最初みたとき「イケメンすぎるからっておとぼけメイクされた千葉狸穴」という存在が面白すぎてフフッとなってしまってすみませんでした。ワカドクロ履修者はわかると思うんですけど、あのぐらいしないと千葉狸穴かっこよすぎて「な〜にが狸じゃそんなにハードボイルドな狸がおるかい」とツッコミいれちゃうんですよね!?ので正解。
 
しかし、それでもなお狸と言われると相変わらず「たぬ…?」となってしまうイケメンぶりだった。
上弦のいっけいさん狸穴が狸感すごかったので、やっぱり下弦は「戦国武将イケメン擬人化ゲームのほうのイエヤッスだな」って気持ちで見てましたね。もう下弦のイケメン担当だからね。しょうがないね。イケおじ枠を一身に背負って出てきたからね。
 
あと上弦に出張してくださったのもお疲れ様でした。ワカの亡霊なので、千葉狸穴と太一天魔が相対する時空があったことに興奮を禁じ得なくて申し訳ない。興奮…興奮してしまいますよそんなん!!
 
贅沢いうなら、また七年後のさらに渋い千葉イエヤッスがめちゃくちゃ見たい……
 
 
そんなこんなで、上弦ほどは通えなかったのですが、通えなかったことが本当に残念だったなと思っているほど大好きな髑髏城でした。
月は変更点が多くて、そしてどの変更点も私にとっては受け入れづらいものが多くて、特に捨之介が天魔王を「殺さない」というところは本当に、本当に……「いやだな」と思ってしまった。
 
捨之介には天魔王を愛しているからこそ「殺して」ほしかったんですよね。
でも、月捨はそれを選ばなかった。ゆえに捨自身がすごく苦しむことになってしまって、ほらーー!だから言ったじゃん天魔王に感情移入しすぎるとしんどいって!!!!!ねーーっワカ捨くん!!!!!!???????って脳内のワカ捨に同意を求めたりしていたのですが、終わった今ではそういう甘さも人間らしさであったのかな、と思っています。
 
月髑髏は、みんな人間臭かったなぁー。
決して強いとは呼べない人たちばかりだし、過ちもある。苦しくって絶望してもう立ち上がれないという日もある。それでも生きていくし、生きていかなきゃならない。ある種、自分の意志を貫いて死んでいった天や蘭は、幸せだったとも呼べると思うんです。死んでしまうことは悲しいことだけど、時には生きていくことより苦しくないってときもある。生きていくことって、踏ん張ることを要求されるので、頑張っていかなくっちゃないんですよね。
 
上弦は青春の過ち髑髏だったけど、下弦は青春の過ち髑髏、というのとはちょっと違って……。「生きていくことは辛い。辛いけど生きていくしかないんだよ」っていう残酷を踏まえたうえで、それでも生きて拝む朝日はこのうえもなく美しいんだよっていう人間讃歌だったと思っています。もう死んでしまった人も含めて、みんなそこで一生懸命生きていたから。悪いことしたやつもみんなのために頑張ったやつも、そうやって生きていたという事実自体は変わらない。その重みだけは等価なんです。
 
だから、気持ちとして見終わったあと比較的爽やかだったな。闇が光に転じる瞬間がはっきりとしていて、強烈だったので、いつもうわーーって凹んでうわーーって救われてうわーーってステアラを出て、うわー…うわ…ウワーーッ!!と豊洲の夜道を駆け出してしまっていた。ほんとに不思議なもんで髑髏城見たあとの豊洲(12月〜2月)全然寒くなかったんだよね…完全に興奮しきっていた……。
 
でもやっぱり、こういう気持ちになったのは、最終的には宮野捨・松岡霧のカラーによるもののように思っています。やっぱり私としては下弦はこの二人がものすごく良くて、ものすごく好きだったな。二人がお互いを助けて、助けられて、ボロボロになりながらも助け合っていく姿の眩さが、その他たくさんの苦しさ、辛さを押さえ込んで「生きてくっていいな!」っていう気持ちに運んでいってくれたので。
 
髑髏城としての辛さをきっちり抑えつつ、それでも「生きるよ!」っていうテーマに帰結してくれた下弦髑髏が、とても好きでした。あの長期間、ほんとうにほんとうにお疲れ様です。
ドクロスのみんなもゆっくり休んでね。
 
生きていくって良いよね。
ボロボロになっても、やっぱり生きていかなきゃならない。
つまりそれは、月髑髏でどれだけ財布をボロボロにされようと極髑髏には行かなきゃならないし楽しかったらチケ増やさないといけないっていうことなんですけど。
 
やばいあと数時間でもう極髑髏始まってる!!!!!!!!!!!!!
捨之介大好きだよでも天海極楽が最強イケメンで「花鳥風月極最強ダーリン♡」とのたまっても許してください!!!!!!!!!!!
 
財布を三途の川に捨之介!
残高を知らぬ顔の蘭兵衛!
貯金貯まらずの兵庫!!
 
揃ったな!行くぞ!!!髑髏城攻めだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
下弦本当にありがとうございました!!!!!!!!!!
 

【総括】髑髏城の七人月~上弦の月~大好きでしたの感想

 

おわって……しまった…………
 
花鳥風月を駆け抜けきったせいだとは思うのですが、かつてない喪失感に襲われててヤバい……今でも半分「週末豊洲で月見るか~」って思ってるので、やってないんですよもうってことを認識するたびにショック受けてしまう……。ローチケでもう戻りチケが買えないなんて……嘘じゃん……
 
記憶を遡ると、月髑髏との思い出は8月末。
財布を炎上させた鳥髑髏上演のさなか、なかなか発表されないキャストにやきもきしつつも、正直もうあとは財布大炎上はないだろうと。風も月も数回ずつ行ければいいだろうと思い込んでいました。だってもう鳥に推し出たし……鳥の推しめちゃくちゃサイコーだったから味わいつくした気分だったし……。完全に気を抜いて「ハ~三浦春馬捨がきたら財布を捨之介かもしれんなァ~~~!!」などと余裕をぶっこいていたんですよ。ぶっこぎすぎだわアホか。
周知の事実だと思いますが、推しとは早乙女太一その人を指します。もうこの先の展開が読めるな!
 
というわけで、ある朝起きたらめちゃくちゃ名前呼ばれていた。もう全て察した。
あーーーーーー…… 
ああ…………
推し……豊洲荒野に呼び戻されてしまったか……ええどうすんの蘭兵衛二連続てア!!??天魔王!!!!!!!!!??????
 
二回蘭兵衛をやった推しの天魔王が来る。その時のおたくの気持ちわかりますか?
さすがに輪廻転生に失敗しすぎだろあと三回捨之介やったとしてもその業浄化しきれないよって思いましたね。私は。浄化どころか悪化だよオロロロ。
 
他の要素も強すぎてね。
ダブルキャスト!?え!?宮野真守!?ガンダムぶりだね!福士そ~た!?フォーゼぶりだね!ヤバい…あとキャスト全然わかんないぞ(不勉強ですみませんでした)…鈴木さんはわかる、確か君だけはおらんの人だったよね……(知識が古い)みたいな……。
ホントにこれ新感線か?髑髏城か?わたし実はいま熱を出していて、そのさなかで観ている夢なんじゃないか?と自分で自分を疑っていたので、極楽と狸穴のキャスト見てあっやっぱこれ現実の告知だ…ってちょっとだけ冷静になった。
 
それで、沙霧⇒霧丸の変更告知ね。正直これが一番ショックでね。
沙霧がめちゃくちゃ好きで、捨之介と沙霧が男と女でありながら絆を築くさまが大好きだったので、そこを変更されてしまうというのは本当に…正直ショックでね…なんで蘭兵衛さんチャンネーに戻してくれなかったんですか!?も相まって(男蘭本命勢ではあるけど一回ぐらいはチャンネーのほうの蘭見たかった…)すごいふてくされてたんですよね。
 
しかもその日、月告知の当日。鳥のソワレ入れてたんですよ。
日中は頭がめちゃくちゃ殴られたあとみたいにボワボワしてたし(ホワホワとかいうかわいいものではない)(なんならその日は飯が喉通らなかった)(神経過敏で一日体が興奮状態になってて、目が血走ってた)、このテンションで鳥見るの…?私今から…豊洲へ…?冬から天魔王になる推しが天魔王に夢見酒流し込まれてるとこ見るの……???ってふるえてたんですよ。
見終わったあと、もう鳥髑髏への感動はもちろん推しに対する「がんばれ…いや私がそんなこと言わなくたって推しはすごく頑張るだろうしやり遂げるだろう…でもがんばれ…」って気持ちで泣きながら拍手したことを覚えている。
そんなこともあった…あったね…。
 
月は全体的に不安要素が大きくて(初新感線勢があまりにも多い・基本的にその前のseasonが稽古期間になるが月の前の風は公演数50弱で他の髑髏より圧倒的に少なかった=稽古時間少なかった・おまけにダブルキャスト・そこに投入されるいのうえさん一月に近松の演出もやるよ告知エトセトラ……)そのなかでも「まぁ下弦は(私はよくは存じ上げない方が多いんだけど…)多分大丈夫でしょ!!!」と思ってたんですけど、上弦…上弦正直推しも含めて不安要素しかないわな!!!もう舞台の幕上がったら御の字かもしれん!!ぐらいの気持ちで初日行ったの覚えていて。
初日も今だから言えるんですけどぶっちゃけ……だいぶヤバかったと思う……。まぁ髑髏の初日付近、わりとどれもハラハラしたんですけど…(風も普通にハラハラだったし、新感線常連役者チャンピオン祭りの鳥ですら不穏だった)覚悟してたよりは形になってた…まあよかった…みたいな感じだったんですけど、そのあと下弦見たらひっくり返ってしまった。
 
めっちゃ完成してる~~!!!
 
ひっくり返るわ!!びっくりした教科書みたいな髑髏城やってて!!
そのころ上弦天魔王はやれ二人目三人目としょっちゅう人格変えてるし、とんでもない荒野に来てしまったと思った。
ネガティブな思い出つらつら語っちゃってるけど、上弦の月大好きオタクの話だから安心して読んでて(?)大丈夫ですよ!!!!
 
最後まで、上弦が完成度高かったかと言われると肯定はできないんですよね。
花鳥風月ほんとにレベル高くて、ここまで安定した役者のきっちりしたお芝居が多かったので、それらに比べると月髑髏というか上弦に綻びが多かったのは事実だった。上弦オタクの私だけど、そう思っています。
 
でも私が髑髏城の七人という演目に求めてるのって「よくできていること」ではないんですよね。
あのね、わたしはね、よくできていることを求めるのなら髑髏城以外の演目に執着するよ!!笑 いのうえ歌舞伎でくくっても、髑髏城以外に選択肢あるもん!よくできていること、を基準にするなら本当に、他にあるんだよね!!??
それでも髑髏城の七人に特別な執着を覚えてしまうのは、私が髑髏城の七人という物語を、内包するいびつさも含めたうえで大好きでいるからなんですよ。荒唐無稽でもいいし、あらが見えていたって、完璧じゃなくたっていい。とんでもないエネルギーに胸を刺し貫かれる瞬間があれば、それでよかったんだ。
 
だから私は、上弦髑髏のことがものすごく好きでした。
こんなに好きになるなんて思ってなかったなぁ。推しは出てるけど、合わなかったら回数は落とそうと思ってた。のが、結局鳥と同じぐらいの回数は行ってしまった。上弦という物語と、上弦の世界に生きている彼らのことがすごく愛しかった。多く見た分の愛着があるといえば、それも否定できないのだけど……こんなに全員抱きしめたいと思ってしまった髑髏城は初めてだった。
 
若いキャストも多くて、がむしゃらにもがくようなイメージが強かったのが好みだったのかもしれない。顔が綺麗すぎて若すぎて、序盤物足りないなあと思っていたのが嘘のように、後半は熱量のぶつけあいになってて泥くさくって、捨之介はシュッとした大型犬から制御つかない子犬になるし、頭のわるい感想だけどエモーショナルだったな。ほんと。エモ髑髏だったよ上弦。
 
鳥のときもなかなかロスだった記憶があるけど、上弦はほんと終了後の喪失感がすごかった。もっと見ていたかったな、と今でも思う。あともう少しやっていたら、きっとそこにはまた違う上弦の月があったと思うので。あのお芝居をもう一度見たい、ではないんですよね。あのカンパニーの作り上げる「髑髏城の七人月 上弦の月」という、また違うお芝居を今週も来週も豊洲へ観に出かけたかった。
 
完全無欠の、見やすくってわかりやすくってきれいなお月さまではなかったけど。
ゆえに、その凸凹さと時折飛んでくる鋭い一撃が強烈で、大好きになってしまった髑髏城でした。
ありがとう月髑髏。いくらオタクがロスでしんどがっているからといって、season会社とかseason死神にホイホイ転生するのはやめてください。
 
■捨之介
恐ろしい男だった……。
 
途中から「やばい研音にごめんなさいしないと」「福士捨取り上げられたら困る」「もうちょっとだけ見逃しててほしい」と焦ってたんだけど、後半になって完全に「遊び」を覚えてしまった姿、完全にモンスターだった。贋鉄斎ルーム「え!?遊ぶ!?遊んでくれるの!?わーい!」って庭を駆け回るワンコだったもんな。後半は研音早くこいつもっていって」「里に返して」「手遅れになる前に持って帰って!!!」って祈ったもん。
 
贋鉄斎ルームでのアドリブ……なんだったんだあれは…。いやその話どうでもいいかもしれないけど、先にしておかないと心の整理がつかない。最初は「!福士くんもこういうことするんだ…」とか「わ〜仲良しかわいい〜…」みたいなほのぼのテンションで見てたんだけど、だんだん福士くんに自我(?)が芽生えはじめて大暴れしはじめたから、なに?こういう形の奇跡の人?チ……チク…チクビ……乳首!!!!ってこと!!!???ってぐらい、あそこから福士捨、瞳にハイライトが入ってしまった……(最初から入ってたよ)。
 
千穐楽での贋鉄斎ルームでも暴れぶりは本当にすごくて、何回「いやもう帰れよ」「さすがに帰ってくれよ」「研音なんとかしてよォ!」「福士くんほんとしんぺーさんに一生足向けて寝られないからね!!!???」って思ったかわかんないし、思ったんだけど、思いながら私は「そうだよねえ…終わりたくないよねえ;;;;」って半泣きになってたのでもうダメだった。
 
手遅れになるギリギリ手前で研音にお返しできてよかったぁ……。
いやもう手遅れな気がするけど。
 
福士捨じゃなかったら許されないからな!!って思いながらも全部許してしまったのでソータフクシほんと恐ろしい男だったよ。千穐楽で感極まったんだろうけど最後の七人シルエット出しで動いた捨之介とかはじめて見たし、マジで!?って思ったけど、ソータフクシだからもういいよwwwって思いましたからね。この話したら髑髏城オタク友達に「福士くん髑髏城のことワンピースだと思ってない?」って言われたけど私もそう思う。今よりもっと強くなって、またグランドラインで会おうな。
 
福士捨。福士捨ね……。
まじめな話をしたいんですが。そのためには、あんまりマイナスなことを書きたくはないんだけど、書かないことにはこの三ヶ月との折り合いがつかなくって。なので、本音書きますね。
 
こんなに好きになれるとは思ってなかったよ!!!!!!!!!!!!!!!!!
 
申し訳ないけど初日は、なに言ってるのかあんまりわからないし舞台に…が、頑張って立っているな…という印象が強くて、捨之介をやるには若すぎるとも感じたし(それは彼のせいではないのだけど…)、とにかく見ててハラハラしてしまった。そのハラハラはだいぶ長いこと続いたし、まわりがだんだんと福士捨良いよ!と声をあげるのを見ていても、わたしはピンと来てなかったんですよね。悪いとはいわないけど、福士捨じゃなきゃいけない意味ってなんだろう?彼の何が、特別に良いと感じられるんだろう?
 
その考えがやや動きはじめたのが1月後半あたり。
ちょうど贋鉄斎とふざけはじめたあたりかな。イマイチなように思えていた二幕が良くなってきて、後半の踏ん張りぶりが好ましく感じられるようになってきた。なるほどな。これまでの捨之介と比べると、行動の説得力自体はどうしても薄れてしまうけど、天魔王を止めたいと願いながらも追い詰め殺めてしまう捨之介と考えると、福士捨の意味合いが見えるな。って感じるようになった。
 
それで、終わるころにはもう、完全に好きになっていましたね。
前楽がねーーとんだ事故回だったんですけど、でも事故部分を除くと私の一番好きな福士捨だったんです。懸命で必死で、でもちょっと天然で、とぼけてて、ああこの捨之介は自分のことを「理解していない」んだなと感じた。
 
多くの捨之介は、自分の痛みや傷から目をそらして「痛くない」「傷なんてない」と言い張るやつらだと思うのだけど、福士捨は本当に自分の傷が見えていないんですよね。痛くないよ!傷なんてないよ!って本気で思ってる。だから他人の傷にも気づかない。天魔のことも蘭のことも理解できないで終わってしまう。
 
だからこそ、最後の最後で追い詰められて、地獄を見て、はじめて天と蘭の見ていた世界を理解する姿が良かったなぁ。
顔を歪めてぐちゃぐちゃになりながら戦う姿が、今はじめて地獄に落ちた、純粋で汚れのない男の姿だった。福士捨は穢れがなさすぎて、純粋すぎて、心の汚い私はね……ちょっと苦手だとさえ感じたんだけれども、後期は純粋すぎるがゆえ手酷い目にあってしまうんだなと納得いったので、その純粋さごと好きになってしまったんです。
 
あと、誤解を恐れずいうと、顔が…良かった……。
別に私としては、顔が良いってあんまり加点要素じゃないんですよね。テレビはともかく舞台で顔が良いって、いやまぁ確かに良いと「良いなあ」とは思うけど、それ自体と芝居への評価ってあんまり関係ないしな〜みたいな(風蘭出てきた瞬間顔が小さくて綺麗だったのでもうなんでもよくなっちゃったことはノーカン)……。
 
でも福士捨は、顔が良いのがすごい効いた瞬間があった。笑顔の説得力がすごいの。ひとつ笑うだけで、こいつは〜〜この笑顔だけで世界に甘やかされて生きてきたな〜〜!?って思っちゃう。そりゃこんな笑顔で生きてきたら甘っちょろい理想を信じてしまうし、手を伸ばせば人を救えると思い込んじゃうわ!!!だってこの笑顔お出しされて優しく見守らないの無理じゃん!!???
でも二幕のかつらは、毛量多すぎなかった?????せっかくの顔が見えないシーンわりと多くてちょっと笑っちゃったよ。
 
なので、なので。
わたしの最終的な「上弦が好き」という気持ちは、捨之介が福士くんであることによって完成した「好き」だと思います。やっぱり髑髏城の七人は捨之介の物語なので、福士くんの捨じゃないとできないことがあってはじめて、新しい髑髏城として根を下ろせるんじゃないかと……捨之介研究会万年平部員の私は思う。
 
従来の捨之介と考えるとやっぱり外れてきちゃうんだけど、捨之介が若くで仲間たちと離別していた世界の髑髏城、と考えると、十分にありえたしこういう捨之介もいたと思う。私は捨之介のことをかっこいい!よりも愛しい…の目で見てしまうタイプのオタクなので、その……わりと……刺さりましたね……福士捨……。本当に最後の最後で刺さったので、もっと見たかった…もっと福士捨を「ああ…好きだ…」という強い気持ちで見ていたかった…。上弦を見ていたかった、という気持ちの大多数は「福士捨をもう少し見たかった」だなぁ。
 
発表時に抱いた不安はすべて拭われたわけではなく、むしろ公演途中にいきなり暴れはじめて混乱したりもしたけど、上弦髑髏の捨之介が福士くんで良かったなあ。と、心から思えたことがほんとに嬉しいよ。捨之介を見ていて泣いてしまったのも、私にとっては久しぶりのことだった。福士捨良かったよ、というか、なんだろうな、好きだな。愛しかったな。
 
でもほんとにあのアドリブ、しんぺーさん以外はあんまり受け止めてくれないと思うのであんまりホイホイ覚醒はしないでくれよな!!!!!ほんと!!!人生であんなに福士ボイスで「乳首」って聞くこともうないし、なくていいから!!!
 
■天魔王
 
推しに盲目すぎるのってどうなのとか思うんですけど、でも推しは最高だしオタクが推しに対して盲目にならないでどうすんの!?私が盲目に為らなくて誰が盲目になるの!?という思いがあるので、目を抉りながらいまこの文章を打っている。目を抉らなければ「盲目になるのはちょっと」と語る自分から逃げられない…目を抉れば推しが見えない…(実写映画版 BLEACH よろしくお願いします!)
 
抉った目を嵌め直すんですけど。
はじまる前はずーっと胃が痛くて。だって、わたしは太一さんのオタクだけど髑髏城のオタクでもあるわけで、鳥髑髏にもそれなりに通ってたんですよ。だからわかるんですよね。太一さんが天魔王をやるってそれ、どうしたって未來天魔って比較されることだってぐらい。
その気がなくたって、捨天別の天魔を見る時、未來さんが脳裏をよぎらない髑髏党員はそうそういないんではないかと思う。捨や蘭とちがって、天魔王という人間は捨之介から切り離されることによってひとりのキャラとして生まれ直した、いわば森山未來初演の人物」と呼んでも差し支えがない存在だと思うんですよ。だから、あれと比べられてしまうのかなと、何より、私のなかでもあれと比べてしまうんだろうなと思うと胃が痛かった。
 
まわりのメンツがあまり、私は存じ上げない方々だったこととか、客演では数人しかいない新感線経験勢でもう半分劇団員扱いだとか、環境面での不安も大きくて、だって私は推しを信頼してるけど推しだってまだ26歳で初役の天魔王なんですよ!?みんな忘れてるかもしれないけど、上弦天魔王は歴代最年少天魔王だからね!!!!???※すっかり捕捉を失念してたけど、一人一役天魔で〜という意味で…
 
だからね……初日はね辛かったよ。
あの初日の天魔王がなんだったのか、私には未だに検討がつかない(後半のそれと比べてもあまりにかけ離れていたので)けど、舞台の上には未來さんがいたんですよね。あの日、あそこには推しの顔と体を持った未來さんがいた。完全に未來さんだったわけではないけど、でも、あちこちで強烈な未來さんを感じる瞬間があって、そのたびに胃がきゅっと縮こまった。もちろんこのまま行くわけはないと思ったし、あそこで、あの初日が強烈な未來さんだったことも何らかの意図があったのかもしれないけど、それでもあの瞬間だけはやっぱり辛かった。
 
だから次にみたとき、ぜんぜん違う人になってるの見て脱力してしまいましたね。出たよ出た!はい!いつものやつ!!はいはいはいはいはい!!いやいつものやつって言ってもさすがにそれは嘘!!ここまでのは初めてだったよ!!あの瞬間私は早乙女太一というジェットコースターに拘束されて、じゃあ行ってみようかこの世の地獄極楽豊洲巡り…と送り出されてしまったんですよね。もうここまで(?)きたら、どこまで行くのか絶対見届けてやるという気持ちになりました。
 
そしたらも〜変わるわ変わるわ。3人目だの4人目だの、最終的に7人ぐらいになって全員並んでシルエットドーン!とかすんのかな?とか思ってた。最後のほうわからないけど、多分シルエットドーンやれるぐらいいましたよね。上弦天魔王。
 
私には推しの考えや人間性はわからないし、それをわかったように言うようなこともしたくはないので、あれだけコロコロ変わっていた理由は本人が言わない限りはわからないですけど。いろいろなパターンが提示されるなかで、何をやりたいのかな、この人は何を表現したいのかな、と考えていくのは楽しかった。お芝居の楽しみ方としてちょっとズレてることはわかってるんですけどね。
 
最終的に天魔王のことを理解できたのかというと、あんまり自信はないんですけど。
やっぱり、彼はただ寂しくて、ただ殿を愛していただけなんだと思うなぁ。他の天魔に比べて元が残虐だったイメージも、あんまりないな(勿論それなりに残虐性は持ってるんだけど)。ただ愛していて、ただ寂しいだけで人は狂えるんだ、というのを見せられた気がする。本来そのテーマって髑髏城のなかでは蘭兵衛が持っていたものなんですけど、今回は蘭兵衛も「愛に狂う」というよりは「過去に縋ってしまう」のほうが近しい気がしたので、より天魔王がそうであるように見えたな。
 
「偽物だって人の命を救える」と諭されて「いうな」と叫ぶときの天魔王がとても好きなんですよ。
わかってたんだもん。自分が偽物だって。あのひとになり変われることなんてないって。それでも、そうしないといけなかった。自分が偽物であろうとなんだろうと、愛した人の姿に寄り添っていなければ、愛した人はこの世から本当になくなってしまう。だから「違う」でも「何がわかる」でもなくて、あの時の言葉は「いうな」なんだろうな、と感じる。捨之介は自分のほんとうの姿を知っている男だから、捨之介が「天魔王自身が天に届かないと理解していること」を理解しているの、天魔はわかってしまっている。
 
上弦の天魔王にとって捨之介とは、眩くて直視できない光だったのだと思います。
上弦の捨之介と蘭兵衛って、めちゃくちゃ天然なんですよね。他のシーズンの捨蘭とくらべてもすごく天然で、自分のあるがまま気ままに生きてるタイプのひとたち。そして、そういう飾らないところを信長に愛されてきたのではないか、と思う。そう考えていくと、上弦の天魔という自分を必要以上に飾り立てる存在がとても苦しい。捨蘭のようには生きられないし、ゆえに殿には愛されなかったのではないかなと。そして、本人もそれをわかっていたんじゃないかなと。
 
だからね、殺すしかなかったんだと思うよ。
あなたを殺してわたしも死ぬーー!!!!うわーーん!!だったんだと思うよ。豊洲サスペンス劇場だったんだよ。本能寺という名のいつもの崖で、本妻持ち男に包丁持って迫ったんだよ。
そしたら本妻持ち男(殿だよ)は「生きろ」って言うわけ。「蘭丸に生きろって伝えろ」って。間接的にそれ、天魔にも死ぬなって言ったってことだからね!!!??「死ぬな」とは言われないのに死ぬことを許されなくなってしまった天魔王、従うしかないんだよ!!!だって愛してるんだもん!!!!
 
天魔王は悪いやつなので、許されないことをいっぱいしているので、だから彼は死ぬべき人物で、成敗されるべき悪役なんですよね。でもどうしても愛しいし、ふかふかのものでくるみたいし、粉ミルク飲ませたあとにげっぷさせてあげたい。上弦贋鉄斎に預けたらちゃんと面倒見てくれそうだけどどうだろうか?贋鉄斎ルームに捨之介と放り込んだら、いっしょにおかあさんといっしょを見るところから情操教育ができるかもしれない……。
 
最初は、宮野捨相手でも見てみたかったなーとかぼんやり思ってたんですけど、この天魔絶対宮野捨には出せないよね。この天魔だったら、宮野捨、霧丸を振り切ってでも追いかけて一緒に死んじゃったよね。天魔王と一緒に飛び降りて「天魔王……お前はどこに落ちたい……?」みたいになってたからね。よかったねサイボーグ009城の七人にならなくて。
 
上弦天魔王はね、奇妙で愛しいやつで、太一さんにしか作り上げられなかったものだと思います。
太一さんの動きってものすごく予想がつかなくって、野生動物のビデオ見てるみたいな気持ちになるんですよね。普通こう動くだろ!って思ってる動線・リズムを無視した動きするから、何回も見ている芝居でも「えっ!?」「あ!?」と戦いてしまう。よく殺陣が取りざたされるんですけど、私はむしろなんでもないようなシーンにこそ太一さんの凄まじさが出ると思っている。
 
たとえば盃を受け取るために指先を動かす瞬間であるとか、ただ短い距離を歩くために足を運ぶ瞬間であるとか、そういう何気ない仕草ひとつひとつが歪で、こわいんですよ。ただそこにいるだけのほうが天魔王は怖かったかもしれない、というぐらい。冒頭の六欲天ダンスもそうなんだけど、本当に自分の身体の見せ方がうまいひとだと、改めて感じました。天魔王は鎧着てるシーンも多かったのだけど、面を見せずに動いているシーンでも太一さんだということが一発でわかる。鎧を着込んで立っているだけで、そのなかに早乙女太一の存在を感じることができる。これはそうそうできることではないと思うし、私が太一さんにおいてもっとも凄いと感じる部分なんですよね。
 
太一さんを好きになってから、ちいさなことだろうと裏切られたようなことはないけど、やっぱり信じれば信じたぶんを返してくれる役者さんだと思ったし、これからも追いつける限りは見ていたいなと思った。早乙女太一の生まれてきたこの世界に生まれてきてよかった……大地に…神に感謝……
 
そんな感じです。なんもまとまってないな。とにかく推しを信じれば救われるという話でした。ご清聴ありがとうございました。
 
 
■蘭兵衛
 
初日見たとき「鉄パイプで窓ガラス割ってまわってたから後ろから頭をかち割られてクソーーッ!!って言いながら絶命した蘭だった」という感想を述べていたのですが、最後の最後まで人の情緒をぶち破って叩き割って回っていった蘭だった。
 
あのほんともうしわけないけど、見る前は「三浦翔平……?少女漫画原作常連のひとでは…?髑髏…?なぜ……舞台実質初めて状態?だ、大丈夫なのか……?」と不安を抱いていたのですが、最近ではみう蘭をキメたことによって日常にハリが出て生活がイキイキするようになりました。これもみう蘭のおかげです。本当にありがとうございました!
 
単純にオラオラの蘭が好きだったのは、普通にありますよね。めっちゃあります。
上弦書き下ろしの、蘭登場セリフ大好きなんですけど「無界の里には境はねえ この世とあの世の境もな」って上弦だけ無界が死ぬほど物騒になってるの何回思い出しても笑っちゃう。なんで上弦だけ……そんなスラムに……
 
これこそ「良いか悪いかではなく好きだった」の極地で、とにかく「私の好きな蘭兵衛」だった……。
下弦蘭が初見のかたにすごく優しくわかりやすい、スタンダート寄り?蘭兵衛だったのに対して、こっちは蘭兵衛オタクもけっこう驚くような変化球で来たんですよね。下手したら蘭兵衛として成立しないんじゃないの!?ってレベル。それでも成立して、私を含め周囲の蘭兵衛オタクの心をひたすらぶち抜きまくっていったのは、ひとえに三浦さんの調整力によるものだと思う。
 
なんていうか…めちゃくちゃ…頭が良いなと思ったんですよね。
太一さんから演技そのものではなく、所作だけ取り入れていくところとか、回を重ねるごとに派手ではないけどこまやかな変化を入れて、情報を整理していたところとか。わたしはいのうえさんの演出のことを「足し引きがうまい演出」だと思っているんですけど(や、演出ってどれも足し引きがうまくないと成り立たないんですけど、いのうえさんは特に)、三浦さんもまた、足し引きがうまい人だと感じた。
 
上弦、捨と天がお芝居のプランとしてやりたい放題というか、その場で動く場面も多いひとたちだったので……三浦さんは他人のプランに合わせて蘭を動かしているような印象がありました。もちろん、ご自身のプランもあったとは思うけど。
あれだけ蘭兵衛としてはバランスの悪い方向に振っておいて「バランスが悪い」とはあまり感じさせなかった。ちいさな所作の足し引き、セリフの節回しの変化がおもしろかったです。
 
ただね、楽付近のあれはなんだったの!!!????wwwwwwwwwww
最後の最後でいきなりプランを変えてきたみう蘭に脳を殴られて、楽の休憩時間一発目で「ていうか!みうらん!今日やばくないですか!!!???」って言っちゃいましたよね。これ絶対二幕で殺されるやつだって思ってきれいに二幕で死んだ。
千穐楽に気持ちの良い死をありがとーーっ!!!みうらーーん!!
 
いやね、おそらくなんですけど、最後のほうで捨天がどんどんエモに振り始めたので蘭も合わせたんじゃないかなというのが、私の感じたことなんですけど……多分中盤蘭のままでいったら一人だけシラフで宴会にきちゃった人みたいになるから……。でも真相は三浦さんのみぞ知るなのだ…いつか教えてほしいよぉ…あれはなんだったんだよとは思わないけど、なんであのタイミングでェ〜〜!とは思うよォ〜〜。
 
楽付近で急にね、無界の女たちを斬るとき苦しみをあらわすようになってね。鳥蘭のオタクだから心臓を抑えて呻いたんだけど、じゃあ彼が鳥蘭だったかというとそれは違う話なんですよね。
 
以下、本当にわたしの妄想でしかないのだけど。
鳥蘭は、自分のなかに「無界を愛する蘭兵衛」と「破壊を愛する蘭丸」がいて、その両者どちらも思いが強くって葛藤している。でも、その「葛藤」こそが彼の望んだことなんですよ。彼はその激しい葛藤を経てなお、「破壊を愛する蘭丸」を選び取る必要性がある。無界を愛すれば愛するほど、それを投げ捨てられるほどの愛を己のなかに取り戻せる。「選ぶ」ためにその選択肢どちらも選び難い、重たいものまで育てあげる。そういう儀式めいたものなんだと思います。
 
みう蘭は、選ばなくていいなら選びたくなかったんじゃないかな、と思う。彼は殿のことを愛していたかというと、ちょっと違うような気もしていて…愛してはいるんだけど、それは鳥蘭のような激しい愛ではなかった気がする。彼は殿と、殿が与えてくれた過去、昔というもっと大きな範囲のものに囚われていて、そこへ「帰りたい」という気持ちが捨てきれなかった。
でも、助けてくれた無界に、太夫に恩義を感じていた時間も確かで重たいものだった。蘭丸に戻って、もう無界への執着は不要なものなのに捨てられない。どうしても捨てられなくって、戸惑っていたんじゃないかな。「どうして苦しいと思ってしまうんだろう」という気持ちを振り払うために、女を斬り続けた気がする。
 
後期の「ああ楽しい、どうしてこんなに楽しいことを俺は忘れていた」は、無界で生きようとしていた過去の自分を咎める言葉でもあり、いま「こんなに楽しい」のに「苦しい」自分への戸惑い、怒りへの表現だった、と私は思いました。
 
みうらんは言葉を選ばなければゴリラ。選ぶとチンピラだったんですけど、でも悲しかったし蘭兵衛さんとしての王道からは外れていなかったし、私はみうらん…めちゃくちゃ儚いなと感じましたね。あれだけ強かに見えた人も、背を押されれば落ちていってしまうんだな、という一抹の寂しさ、儚さ。みうらん、光量のめちゃくちゃ強い蛍。どれだけ強く光ってようが握りつぶせば蛍も死ぬんだ。
 
だから、強さの陰で見せる寂しさが好きだったな。たびたび数珠を握っては遠くに思いを馳せる姿とか……。わかりやすく愛想が良いわけではないけど、無界を愛したのも伝わるから、やっぱり見てて辛かったですよ。他の蘭に比べると辛さは少なめ(エンタメ性が強い)だと思うんだけど、それでも辛かった。無界を出てくときとか、もうやめて極楽にないしょでジャンプ買いにコンビニ行くのやめて…外出ないで…あっ数珠…数珠にぎらないで…それフラグだから…数珠を握るな!!!!って思いながら見てた。今日こそは天魔王に勝ってくれって思って見てた。
 
みうらんには割りと12月半ばぐらいで落ちてたんですけど、とはいえこんなに好きになるとは思ってなかった枠のぶっちぎりですよ……本当に良かった好きだった。またどこかで見る機会があればいいなーと思っていったら推しと一緒にオフィスパロにぶちこまれていたので焦りました。
 
いや だって 見たいなとは言ったけどそういう…そういうんじゃなくない!!!!????
ありがとーーっみうらん!!大好きだったしこれからも大好きだよーーっ!!!ゲキシネで綺麗な顔面をドアップで見せてね!!!!!!!!!!
 
 
■霧丸
個人的な上弦MVP、決めるとすればここですね……。
初日上弦感想観ていただければよく分かるかと思うんですが、わたしはほんとうに霧丸(特に上弦)に対しては否定的なところからスタートしたんですよね。実際のところ、霧丸は上弦のほうがハンデあったと思う。あの役どころで、自分より年下の捨之介相手に芝居やらなきゃいけないってどんなんだよ!?って思いません!?
私は最初「下弦と上弦なんで入れかえなかったんだよ」って思ってたよ……。
 
今となっては、絶対上弦にはこの平間霧丸が必要だったなぁ、って気持ちを噛み締めています。
三浦さんのところで「調整力が高い」なんて話をしていたんですけど、霧丸もめちゃくちゃに調整力が高かったと思います。自分の調整だけじゃなくって、常に場の空気を読みとって、適切な雰囲気へとコントロールするパワーがあった。霧丸がいなかったら途中でガラガラ調子崩しちゃったんじゃないかな、と感じる回もたくさんあった。
 
思えば、私が上弦で泣いてたのって大体霧丸のシーンなんだよなぁ。
平間さんのことはよく存じ上げず、拝見したのも初めてだったんですけど、なんか…なんだろう、リズム感がすごくいいひとだという印象を持っている……。「今ここで来てほしい」というタイミングでセリフが、動きが来るんですよね。だからつい、情動を後押しされて泣いてしまう。平間さんは最初から最後まで、すごくよかったな。後半いつも「今日は霧丸がよかった」って言ってた気がする。「あー!!この霧丸、もっと見たい!!!」って気持ちで増やしたチケットもある。
 
上弦は捨之介がふわふわで天然で、ふらふらしてるから、だからしっかりものの平間霧丸じゃないと支えられなかったと思う。平間霧丸は賢いんですよね。松岡霧丸とくらべてもお兄さんだし、松岡霧丸が生まれながらも天才型っぽいのに対して、こっちは知識を詰め込んでのし上がってきた秀才型という印象がある。ゆえに、人の汚い感情や痛みに関しても「理解」が早くて辛かった部分があったんじゃないかなぁ。理屈でわかるぶん絶望の形がこじれてしまって、もう生きていてもいいことなんてないって気持ちになってたような気がする。
 
そんな彼が救われて、「助けるため」に城へ向かうの、救済力が高すぎる。霧丸という存在は、作中唯一用意された「捨之介への肯定」だと思っています。月髑髏はほんっと〜に捨之介がね「お前は間違ってるよ」と言われつづけてラストに雪崩れ込むから、そういう時霧丸という存在がいてくれて、一緒に生きるぞ!って助けてくれるの…「必要だった」ことなんですよ。あれがなければ、例え命が助かったとしても捨之介は近いうちに死んでしまっていたんじゃないかと思うぐらい。
 
ちょっと夢見がち、天然な捨之介。冷静でわりあいリアリストな霧丸。
上弦のこの取り合わせは、味わいぶかくっておもしろかった。狙ってつくられた組み合わせなのかはわからないけど、捨之介と霧丸(沙霧)が対等な親友に見えるような髑髏城って、後にも先にもないんじゃないかなぁ。これは沙霧が男にならなかったらできなかったことだから、霧丸にした意味合いはちゃんとあったんだな、と思います。
 
平間さんは今回でほんとうに「すごいな!」って思ったので、ぜひ違う舞台でも拝見したいです。ほんとうに大変な役どころだったと思う……でも私のような厄介沙霧オタクも跳ね除けて、しっかりと役柄を全うした、とても素晴らしい役者さんだと思いました。ありがとう!
 
 
■兵庫
MVPもうひとり決めていいよって言われたら迷わずここにする。よかった…よかった!
 
あまりに若すぎるので、こっちもこっちでちょっとハンデあるというか、、大変だった部分もあっただろなと勝手ながら感じてしまうんですが、安定感がすごかった。平間霧丸と須賀兵庫がしっかりしてくれていたから、上弦ははちゃめちゃやっててもなんとか城の形を保っていたと思います。
 
もうねーーーーー光属性すぎて。
後期の上弦のオタクたち「孫がさ」って言ったらすぐ須賀くんと理解してたんですけど、孫としか言えないよね。「光の孫」と呼ばざるおえないよね……。おいしいお米とか野菜とかお肉とか贈りたい系兵庫。
 
死んじゃやだ!と泣きじゃくる兵庫を見て、こっちまで泣いてしまうような日が来るとは思わなかった。いや、あそこ大体いつも泣くんだけど、今回は特にぼろぼろ泣いてしまって、わたし髑髏城でこんなに泣くんだ…ってびっくりしましたね(髑髏城ではあんまり泣かないタイプ)。上弦の荒武者隊のこと、全員孫だとおもってたから……孫たち…幸せになってほしかった…。
 
とにかく、須賀兵庫は言うことやることひとつひとつが純でまっすぐで、だからあれだけ年の離れた極楽を好きだといわれても違和感がなかったんですよね。最後のプロポーズの、愛に溢れた様がさあ…その前の、蘭兵衛の死体に縋って泣いてる極楽に、なにもできないままの小さな背中を観ていると、もうたまらないわけですよ。かっこいいよ…お前かっこいいよ!って応援したくなる。聖子太夫を任せられる!と心から思えるちっちゃな兵庫でした。
 
なにげに、あれだけの公演回数で大きなミスがほぼなかったというの、凄いことだと思います。あれだけ跳ね回って、叫んでまわって、ミスあったにはあったけどほぼなくやり切って最後まで笑っていたの、なかなか成し遂げられることじゃないからな!?初日みたとき「喉壊すんじゃないの!?」って思った。ちょっと危うい時はあったんですけど……そんなことは全然大したことじゃねえ!
 
え〜〜んもうほんとにほんとに好きだった。良かった。2.5系とかにはあまり興味を持っていないオタクなんですけど「孫が出てる」といわれるとえっ…じゃあハイステ…見るか……ってなっちゃう。勝手に祖母になってすみませんなんですけど、あれだけ孫を摂取したら祖母にもなるわ。兵庫と霧丸のちっちゃいものクラブ(ってフォロワーさんが言ってたの見てから、もうそうにしか思えなくなった)に助けられていた舞台だった。お疲れ様でした。またぜひ新感線出てください……
 
 
■極楽
さんざん言ってるんですけど私は上弦の極楽が大好きなんですよね。もうこれを見れただけでも上弦、私にとって13000円の価値あるわってぐらい好き。大好きだった。
 
当たり前のこと言うんですけど。
やっぱり聖子さんは、お芝居がうまい。台詞の言い回し、声の使いかただけで心を揺さぶってくる。聖子さんは悪役やってても輝いているけど、今回の上弦極楽というポジションは私がものすごく見たかったものなんですよね。聖子さんの見せる優しいお芝居、情が厚いけれども決して押し付けがましくなくって、染み込んでくるような心地なんです。
 
好きだったのはやっぱり「どうしたって言うの蘭兵衛」「もう一度聞くよ、蘭兵衛さん」の声の使い分け。「血塗れの手でも洗えば落ちる!」と笑うときの声。極楽があっけらかんとした強そうな女性に見えて、その実内面はやわらかく、弱い部分もある女性であるんだなということが、言葉や表情、行動からしっかりと伝わってきたんです。
 
だから、あれだけ強そうに見えても最後死のうとしてしまうの、納得いったな。歳を重ねているからものごともわかってしまうし、生きてたってあんまりいいことないなってのを理解してしまっている。だからこそ、兵庫の言葉が刺さったんだと思います。
 
極楽は、「あんたと一緒に生きたい」と言われたかったし、言いたかったんだと思う。
それが言えない人間だったから、蘭兵衛を見送ってしまったし、その後悔を抱えることになってしまった。助けたし、蘭は助けてもらったと笑ってくれるけど「一緒に生きている」心地は最後までなかったんじゃないかな。蘭の心が遠くにあったことも、わかっていたんだと思うな。
 
あんたと一緒に生きたい。俺と生きてくれ。極楽の言えなかった言葉を口にした兵庫は、極楽にとって本当にいい男に見えたんだと思うよ。誰かには生きてくれと思うけど、自分が生きていきたいとは思えない。ある種、極楽太夫は捨之介ととても似た人物なんですよね。そんな彼女に須賀兵庫という明確な救済があって、本当に、本当に良かったなぁ。
 
これまでの髑髏城で、私にとってはもっとも好きな極楽太夫だったし、もっとも美しい極楽太夫でした。
 
■贋鉄斎
しんぺーさんホンッッッッッッッッッッッッッットおつかれさまでした!!!!!!!!!!!
 
序盤は、下弦に比べるとやっぱり暴れられないかな?寂しいな〜とか思ってたのが嘘のようだった。でも後半は暴れる贋鉄斎に捨之介が振り回される、じゃなくて暴れる捨之介を贋鉄斎が「すみません!!すみません今片付けますんで!!!」と舞台袖に押し込める事態だったので、こんなことになるなんて聞いてないよ!!と思った。しんぺーさんも聞いてなかったと思うよ。
 
上弦贋鉄斎ねー変な人なんだけど、愛嬌があってかわいいんですよね。他の贋鉄斎がかわいくないというわけではないんですよ。いや、かわいくなかったわ。あとの花鳥風月贋鉄斎、全員変態か害悪です。そんななか、上弦贋鉄斎はどこかほのぼのとしていて、プリキュア妖精さんみたいだった。
すてのすけ!いくガン!!変身だガン!!斬鎧パワーでメイクアップだガン!!
 
年の差が開いていることもあって、贋鉄斎、捨之介のこと可愛がってくれたんだろうな。孫とか息子みたいな気持ちで、おぬし〜ウリウリ〜〜ってしてくれてたんだろうな。そりゃ捨之介も胸襟を開きまくってガバガバになって、贋鉄斎ルームで「終わりたくない」「お前とずっと一緒にいたい」「お前が好きなんだ」などと月9をおっぱじめるよ。
 
思い返すと、一番かわいかった…のは…贋鉄斎だったような気もしてくるんですよね。マジで脳内作画がプリキュア妖精さんで2頭身なので……まああのシーン福士捨も二頭身だったんで作画のトーンが揃ってるともいえるんですけど。なんだっけこれなんの話?髑髏城の七人の話だったわ。
 
いやー贋鉄斎の呼びかけで捨之介にミラクル髑髏ライト振らせてもらえるなんておもわなかったですね…。
 
 
■渡京
もういてくれて喋ってくれるだけでありがたかったんですよね。
なぜなら聞きやすいし誰がしゃべってるのかすぐわかるので(上弦…全体的に声が似ていた…)。
 
鳥渡京に比べるとさらにアヤシ〜奴というか、さらに小ズルそうだったけど、髑髏党を霧丸と騙すシーンのポンコツさが途中から増したの、ウッ…かわい…と思った。渡京って毎回「なんだお前はムカつくあー腹立つまた邪魔してアーーッもうほんとちょこまかと小賢しいンーー!!!!!!!……えっ好き…」みたいになっちゃうんですけど、上弦はほんとお前ーーっ!お前お前お前ーーっ!好きだぞチクショー!ってなった。
 
髪にメッシュ入ってるのも「怪しいヤツです!!」という感じでよかったな〜。
なんか、鳥よりさらにアホでしたよね!?策も鳥以上にバカバカしかったし、わりとアホの子でしたよね。月渡京。
 
それでも、隠しきれないのが刀捌きの美しさ。
本当はお前強いだろ!とツッコミを入れたくなってしまうのも、これも粟根さんの殺陣が美しいのがいけないんだ……ウッ…ウウ〜〜佇まいも美しいし、こんな怪しい裏切り眼鏡おじさんに色気を感じてしまうの感性がバグったとしか思えないんだけど、粟根まことさんならそれができるんですよ。粟根まことさんにはそれができるんだ!!!
 
粟根まことさんの声を聞きながら眠りにつきたいんだけど、渡京の声を聞きながら眠りにつくシチュエーションは絶対よくない夢を見るシチュエーションなのでご勘弁願いたいのだった。
粟根さん……好きだ…好きだ……。みんな髑髏城の七人1997も見てね…。
 
■狸穴
地味〜にっていうとなんだけど、地味〜に好きだった、いっけいさんの狸穴。
いや、いっけいさんの狸穴、実際めちゃくちゃハマってませんでした!?家康感の出方(?)が花鳥風月でもトップクラスだったと思う。大物感もお茶目さもあり、なにより狸感。めっちゃ狸。
 
霧丸の頭をうりうり撫でたりいじったりしてて、おちゃめでかわいいし、おでんを見た瞬間から「おっ!!」となってる様子がはっきり見えるのも良かったなぁ。ものすごく特筆すべきところがあるタイプではないし、いわゆるイケおじともちょっと違うんだけど、愛嬌があって親しみが持てて、でもちゃんと大物で…家康感が強かったんですよね!とにかく。
 
あんまり書くべきことがないんだけど、いっけいさんの狸穴ハマりすぎててもう何回か見てきたよな気持ちにさえなったから……私これ鳥髑髏の太夫にも言ってたけど「もう見た」って見る前から思ってたから…(?)
 
上弦にだけあるシーンですが、洗濯物干すシーン、ほんとに…良いですね。ニヤッとしてしまうし、あのシーンのほのぼのさがあるゆえに、後半がとても悲しいし辛い。ので、いつもカテコで楽しそうに手を触り合う二人を見るとちょっとだけ救われてしまうんですよ。
 
 
まだまだ書きたいことがいっぱいあるんですけど、2万文字はさすがに越えたくないし手が疲れてきたし、まだ下弦の感想に着手できていないのでこのあたりにとどめます。続きはツイッターで。
 
上弦は、始まった段階では荒が目立っていて、上弦のオタクをしつつも「否定されてしまっても、仕方がないかもしれないなぁ」と思っていたところがあるんですが、終わった今では「私がこの芝居を自信持ってよかった、好きだった、と言わなくてどうすんだ」って気持ちが強いです。
 
髑髏城の七人月 上弦の月!!!!!!!おもしろかったですよ!
すごくすごく良かったし、おもしろかったし、大好きだったし、これからも大好きですよ!!!!!!!!!!!!!!
 
そして以下の意見は、私にとっては、私にとってはのものですよ。
上弦はワカぶりに「強く捨天蘭過去の姿を描くことができる」髑髏城でした。単純に、三人の年が近いというのが大きいとは思うのだけど、捨天蘭全員が妙に地に足ついていて、人間くさいところが多かったからかもしれないなぁ。でもみうらんと天魔は絶対合わないよね。天魔がどうぶつのもりやってたいって言っててもみうらんはお外で缶蹴りしたいもん。ゲームとかしゃらくさいもん。外遊びひとつで育て上げられた漢だもん。(福士捨はどっちでもつきあってくれるよ)
 
上弦髑髏は青春の過ちの、若さゆえのヒリヒリした感情のやりとりを主軸に置いた物語で、それは一見ワカに近しいと思うのだけど……でも、やっぱりワカドクロとは違うんですよね。ワカは「もしかしたら交わったかもしれない三人」の物語で、上弦は「決して交わることはなかったけど、交わりたいと思っていた三人」の物語だと思う。相互不理解の髑髏城、と呼んでいたけれども……天も捨も、蘭さえもこの髑髏においては「理解されたい」と思いながら生きていたような気がするな。
 
だから、辛かった。
上弦、楽しかったー!と豊洲を出るにはあまりに辛くって苦しくって、感情をボロボロにされまくった。終演後。はけていく福士捨にむけて「そ〜ちゃ〜ん!」と叫ぶ福士くんファンのきらきらお姉さまを横目に「つれえ…つれえ…」と男泣きを堪えながら拍手贈るマチネもあった。「六欲天…今日三欲天ぐらいしかちゃんと斬れてなかったけど大丈夫か…」とスペースキャット顔のソワレ(前楽)もあった……。
 
前楽のドデカイミス、こんなこというと不謹慎だけど私は「上弦ぽくて」おもしろかったんですよね。(同行の友達とか、別にミスに気づいてなかったし、何回もみてる側はあっとなるけど、初見が気になってないなら目くじら立てて責める必要性はないと思っている)
もう楽しかないんだよ!楽で綺麗に終わらせなきゃいけないの。その状態で千穐楽に突っ走るんだから「千穐楽寂しい」じゃなくて千穐楽マジ頼んだぞ!!ほんと!!ほんとに!!」って気持ちで豊洲に向かったもんね。
 
だっていうのに楽まで感情剥き出しで、綺麗にやるつもりなんて誰もないんだろうなってお芝居のぶつけあいっこしてた上弦くん。不器用だけど愛しい子だった。しっかりはっきりとした髑髏城はいっぱい見せてもらったので、上弦くんはあれでよかったと私は思っているし、私は本当に満足しています。私が髑髏城の七人に求めているものを、上弦くんは見せてくれた。もっともっと見てたかったんだけど、ちゃんと満足はしてるよ!
 
懸念点としては、ライビュ見れてない勢なので、ゲキシネで見たらあまりにも顔が良すぎて倒れてしまわないか心配。いや…福士三浦の顔が並んだ瞬間画面のイケメン係数が異常値を訴えてしまうでしょ…無理でしょ…バルト9のスクリーンが真っ二つに割れてしまうかもしれない……。上弦の月ゲキシネが一体いつごろになるのかという話からはこれからも目をそらしていく心づもりです。さすがに告知してくれそろそろ!!!!
 
あーーー楽しかった!!!!!!!!!!!!!!苦しみも痛みも含めて楽しかった!!!!!!!
ありがとう上弦の月!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ありがとう練乳ミルククリームの香ばしフランス!!!!!!!!!!
 

お芝居は揺らぐから、私は多ステする

 
あーーー終わってしまったほんとマジめっちゃしんどい……
自分がいまどうやって生きてるのかその原動力どっからひねり出してるのかホントもうわかんない……
 
というわけで、多ステ(念のため解説すると、複数回同じ舞台へと足を運ぶことを意味するよ!)していたお芝居が先日千穐楽を迎えました。

念のため警察に怒られたくないので弁明すると、便宜上「多ステ」という言葉を使うが、多ステというほど通ったわけではないです。

おそらく一般の人の前で言えば「えっ!?同じお芝居をそんなに観るの!?」と言われるが
多ステ勢のみなさんの前で言えば「え?そんだけ…?なんで?……お金なかったの?」って言われると思う。その程度の数なので大丈夫。大丈夫です。何かが。

それでも、まぁそれなりに時間を使い、何より腰をすり減らし(電気を打ってから観劇に行くのはあまりにも優しくしてくれた医者への反逆すぎて申し訳なかった)て通わせていただいた舞台でした。
終わった今は、ちょっとした放心状態。もうこの土日に足を運んでもあの舞台はやっていないし、お客さんだっていないし、ジューダスは聞こえてこないし、捨之介は太ももを丸出しにしていないんだなと思うと苦しすぎて脳内ではやっていることにしてしまう。勝手に。
おとといのマチネ荒武者隊退場ソングはアゲハ蝶だったってホントですか〜〜〜!?

冗談さておき、喪失感に苛まれながらいろいろなことを考えていた一週間でした。
そのうちひとつ、特に考えていたのは「なんで私は多ステしたんだろうなぁ」ってこと。

ヤバいぐらい集中力ないんですよね、私。昔から集中力のなさが売りで、何回「集中しなさい」って言われてきたかわからない。低学年の頃とか絶対名前呼ばれるよりも「集中しなさい」言われた回数のほうが多かったよ。盛りましたすみません。
とにかく、私は観劇オタクをやっていくのに大事な要素「集中力」をドブに落っことして生まれてきてしまったんですよ。だから基本的には多ステしないんです。3回までかな、飽きずに観られるの。それ以上は滅多にないです。

そんな私がなぜ、こんなに多ステしてしまったのか。(いや、正確には夏も同じ芝居のキャスト違いに通ってたんですけど)単純に見ていて好きで楽しくって何度も観たくなるからなんですけど、何故このお芝居だけ「何回も観たい好き」を覚えてしまうのか。考えていて……
 
結果として、私は私のなかにあるこのお芝居の「揺らぎ」のなかにあるものに興味があるんだろうな、と思った。
 
お芝居って、物語を伝える手段のなかでももっとも揺らぎが大きいものなんじゃないかと、思っているんですよ。
その日のコンディションや雰囲気に左右される人間という生き物が演じて、それを観客が客席から見る。この客席位置によって見えるものは全然違うし、見方も変わる。どうやっても同じ公演になりっこないんですよね。
おまけにお芝居って、自分の趣味嗜好に合わせて見る視点を定めることができる。あの人が好き!って役者さんがいれば、その人だけを見ていることだってできる。同じ公演がないだけじゃなくって、同じ公演でも違うお芝居を見ている人間しかまわりにいないんですよ。人の感想見て「そんなことしてた!?」とか「え〜このひとはこう思ったんだ…!」とか、びっくりすることがいっぱいある。
 
そんな風に揺らぎが大きい「お芝居」だから、その「物語」を追いかけたいと考えた時に難しくなってくるんですよね。もちろんぱちん、と一発で解釈が決まることもあるんだけど、私が今回ハマった舞台は、私にとってはそうじゃなくて。でも、このお芝居に通ったのは、このお芝居が「揺らぎの大きいタイプのお芝居」だったからじゃないかと思う。
つまり、大きな揺らぎを目の前にして、でもこの物語を好きだと思って、もっと理解したいと思ったから私はあそこに通っていたんじゃないかなぁ。
 
多ステっておもしろいんですよ。
うわっ!この回好きだったな、って思って、次見たらその「好きだったな」のところなくなってたり。どうしても「あの回はよかった」「この回はちょっとイマイチだった」とかあって……純粋な楽しみ方じゃないかもしれないけど、でも「あの回でこうだと思ってたこと、もしかしてこの回を鑑みるとこうなのかな?」ってつなげて考えてみたり、それを終わり際の公演でひっくり返されたりするの、すごく楽しいんだよね。
 
というわけで、やっぱりロングランでの多ステって、楽しいねーーーっ!
役者自身の「こいつってこうなのかな」とか「もっとこうしたほうが、こいつのこと伝わるかな」という葛藤、回りの役者に突き動かされて変化する解釈、お芝居。そういう過程を見守れるのもロングランならではだし。
役者さんの負担は大きいのでおいそれと「ロングランして」とはいえないのだけど、でも……見る立場としては本当におもしろかったな。幸せでした。
 
結局、その揺らぎのなかにある芯を見つけ出せるかどうかは、私にとってそんなに大事じゃないのかもしれない。役者が表現しようとしているその人物を、物語を、いっしょに読み取ってみたいなぁと奮闘してみる、その体験を楽しんでいるのかな。いわば私のひとりプロレスなのかもしれないなぁ。
でも本当に楽しかったですよ。多ステはしたけど、私が同じ劇場に通って、同じ役者が演じるのを見ていたあのお芝居は、ひとつとして「同じお芝居」ではなかったから。そして私が観劇していたその回のお芝居もまた、同じ回を観劇した誰ひとりとして同じ視点から見ていない、私だけが見ていたお芝居だから。
 
色々言ったんですけど……
とはいえこんなことをうだうだ考える以前に
 
「は〜推しが舞台で暴れてるとこまた見たい」
「っていうか髑髏城は脳に直接キメられる夢見酒だから定期的に飲まないと無理」
 
という気持ちがあることも、また真実!!!!!!!!!!!!!!!!!!
やっぱ動く推しを生で見るというのは人生にメリハリが出る素晴らしい体験なので、生で推しを見るために人生頑張って行こうと思います。昨日ばっかり向いてたら意味がないって捨之介も言ってたしな。オタクよ、明日に向かえ。
 
というわけで、月髑髏上弦下弦の感想が書き終わらないので、先んじて最終感想にむけてのお通しをおいておきます。
終わんない…感想が終わらないよ髑髏城くん……